翻刻
司(す)、恩謝使(おんしやし)国頭(くにかみ)按司(あんす)等(ら)をして、方物(はうぶつ)を貢(こう)す、七月三日(しちぐわつみつか)
下野国(しもつけのくに)日光山(につくわうざん)の御宮(おんみや)を拝(はい)す、《割書:輪池|掌録》
慶安(けいあ )【ママ】二年(にねん)九月(くくわつ)、中山王(ちうさんわう)尚質(しやうしつ)、恩謝使(おんしやし)具志川(くしかは)按司(あんす)等(ら)
をして、方物(はうふつ)を貢(こう)す、《割書:琉球|事略》また日光山(につくわうさん)の御宮(おんみや)を拝(はい)
す、
承応(しやうおう)二年(にねん)九月二十日(くぐわつはつか)、中山王(ちうさんわう)尚質(しやうしつ)、賀慶使(かけいし)国頭(くにかみ)按(あん)
司(す)等(ら)をして、方物(はうぶつ)を貢(こう)す、《割書:羅山文集、和漢合運、|近世武家編年略、》また日光(につくわう)
山(ざん)の御宮(おんみや)を拝(はい)す、
寛文(くわんぶん)十一年(しふいちねん)七月二十八日(しちくわつにしふはちにち)、中山王(ちうさんわう)尚貞(しやうてい)、恩謝使(おんしやし)金武(きふ)
王子(わうじ)等(ら)をして、方物(はうふつ)を貢(こう)す、《割書:万天|日記》また日光山(につくわうざん)の御(おん)
宮(みや)を拝(はい)す、《割書:琉球事略、|歴代備考》
天和(てんわ)二年(にねん)四月十一日(しくわつじふいちにち)、中山王(ちうざんわう)尚貞(しやうてい)、賀慶使(がけいし)名護(なご)按(あん)
司(す)、恩納(おんな)親方(おやかた)等(ら)をして、方物(はうぶつ)を貢(こう)す、《割書:万天日記、|甘露叢》
宝永(はうえい)七年(しちねん)十(じふ)一(に)【ママ】月(くわつ)十八日(じふはちにち)、中山王(ちうさんわう)尚益(しやうえき)、賀慶使(がけいし)美里(みさと)王(わう)
子(じ)、富盛(とみもり)親方(おやかた)、恩謝使(おんじやし)豊見城(とよみくすく)王子(わうじ)与座(よさ)親方(おやかた)等(ら)をして、
方物(はうぶつ)を貢(こう)す、《割書:琉球聘|使紀事》また東叡山(とうえいさん)の御宮(おんみや)を拝(はい)す、中(ちう)
山使(ざんし)の日光山(につくわうざん)に至(いた)らずして、東叡山(とうえいざん)に来(きた)ること
この時(とき)を始(はじめ)とす、