東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之1 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之1 - ページ 13

ページ: 13

翻刻

世人いかはかりめてもてはやさゝらんやかれ今板にゑりておほやけ にせはやとてよはひまたはたちにもおよはさりしころよりおもひ おこされて文政三年といふとし亀田の翁なとかたらひて世に あらはさんとはかられつるそのきさみにおのれこの父ぬしより 明くれとひとはれし友にハあらねとさるへきゆかりはたなきにしも あらねははしにまれおくにまれいさゝかしるしてよとこはれたれハ いなむへきなからひにしもあらねはつたなきものから草とりて いさゝかしるしおきつれと十あまりの年もへぬる事にしあれハいつく にかさしおきけん見うしなひて今はもとむれとさくり出つへき たよりなしさるハ去年やよひのすゑとしころすみならしたる家 のまへうしろこよなうかまひすしうよからぬいと竹の愁をいとひて 根岸といふ山里にかこかなるすみかもとめてうつろひかくろへぬる そのまきれにやありけんいかて見いてゝんともとむれともとより やまひかちにて何事もおもふかひなくはか〳〵しからぬ身にし あれは友たちの哥むしろなとにたにものうくおほえてたち あはんともせすかきこもりてのみすくすに今ハ老のくるしさゝへ せめ来つれハうしなひつるものさかしもとめんとするちからさ へなく気むつかしけれはいかてひとくたりのことをたにしたゝむ へきかうかよわくやまひかちになりてたゝみつからをやしなふ のみをたけきものにてあかしくらせはいまことさらにしたゝ めんはいとわつらはしういかてのかれてんとうしなひたるゝ事 あらはしつれとこのぬしの母君おはしてよしさらは墨ひ

現代語訳

世の人々はどれほど褒めそやすことだろうか。彼が今これを板に彫って公にしようと思ったのは、年齢がまだ二十歳にも及ばなかった頃から思い立っていたことで、文政三年という年に亀田の翁などと相談して世に発表しようと計画していたのである。その際に私は、この父君から明け暮れ頼まれていた友人ではないが、まったく縁がないわけでもないので、序文であれ奥書であれ、少しばかり書いてほしいと頼まれた。断ることもできない間柄でもあるので、拙いながらも筆を取って少しばかり記しておいたが、十年あまりも経ってしまい、どこにしまったのか見失ってしまい、今は探しても見つけ出すすべがない。 というのも、去年の三月の末、長年住み慣れた家の前後の騒がしさや、よくない細竹の垣根を嫌って、根岸という山里に静かな住まいを求めて引っ越し隠居したのである。その混乱の中でのことだろうか、どうして見つけようと探してもそもそも病気がちで何事も思うようにならず、はかばかしくない身であるので、友人たちの歌会などにも億劫に思えて参加もせず、引きこもってばかりいる。今では老いの辛さまでも迫ってきたので、失ったものを探そうとする力さえなく、気難しくなってしまった。どうして一人分のことさえも整えることができようか。このように弱って病気がちになって、ただ自分を養うことだけを目標として日々を送っているので、今さら改めて書き記すのはとても煩わしく、どうして逃れようかと失ったことを表したところ、この主人の母君がおられて、「それでは墨を...

英語訳

How much will the people of the world praise and celebrate this work! He conceived of carving this into woodblocks and making it public when he was not yet even twenty years old, and in the third year of Bunsei (1820) he consulted with Elder Kameda and others, planning to reveal it to the world. At that time, though I was not a friend who was constantly relied upon by this father, I was not entirely without connection either, so I was asked to write something, whether a preface or postscript. Since I could not refuse given our relationship, I took up my clumsy brush and wrote down a few words, but more than ten years have passed, and I have lost track of where I put it. Now, though I search, there is no way to find it. This is because at the end of the third month of last year, disliking the constant disturbances in front of and behind the house I had long lived in, and the unsightly thin bamboo fencing, I sought out a quiet dwelling in the mountain village called Negishi and moved there to live in retirement. Perhaps it was lost in that confusion - no matter how I try to find it, I am sickly by nature and nothing goes as I wish, being in such a feeble state that even my friends' poetry gatherings seem troublesome to me, and I do not try to attend them, only shutting myself away. Now even the hardships of old age press upon me, so I lack even the strength to search for what was lost, and have become irritable. How could I possibly manage even one person's affairs? Having become so weak and sickly, with only maintaining myself as my goal each day, to write anew now would be most troublesome, and when I expressed how I wished to escape this, since I had lost it, the mother of this master said, "Well then, ink...