翻刻
船中米代に成たる趣也夫ゟ上陸案内につれ
大川を越す又練壁の門有り是を越し広々たる
会所らしき大家有り此所に唐人三十人計各《割書:■■に|懸り并》
《割書:|居たり》
此地は唐土サホㇳ■所に而年々日本長崎へ
唐船入津交易す右会所と云は長崎問屋に
準したる会所と見ゆ并居し唐人皆其手の
役人或は手代等と聞ゆ此内に先生に齢ひ
八十計りの翁有り両手の爪の長さ壱
尺余に〆頗る万達と見ゆ此翁の言当地へは
折々日本人漂流しける故和語も聞馴たる
由にて日本言葉も通し始て案堵の思ひ
をなすと云
拾壱人之者右会所の二階板敷呉座を敷此所に
居らしめ食事一日三度白米飯菜は逗留中
品も替れ共大略豆腐菜類の糵(モヤ)し