翻刻
《割書:海外|治乱》繍像人物小伝巻之四
第四回
厄勒祭亜(ぎりしや)国《割書:当時(いま)都爾(とる)|斯(く)と云》の亜歴山多児(あれきさんどる)垤(で)は才徳(さいとく)万(ばん)
人(にん)に傑出(けつしゆつ)し依(よつ)て臥盧的(ごろうで)と称(しやう)す是(これ)を漢(かん)に訳(やく)して
歴山王(れきざんわう)と云(いふ)。馬則多尼亜(まぜとにや)《割書:国|名》の王(わう)「ヒリッピュス」の男(なん)也(なり)
紀元前(きげんぜん)三百五十六年 我国(わがくに)の 考安天皇(かうあんてんわう)の三十
九年 丁卯(ひのとう)年(どし)《割書:此時我国未|だ年号なし》に了(あたつ)て「ペルラ」の地(ち)に生(うま)
る其(その)未(いま)だ幼(いとけな)き時(とき)より気宇弘恢(きうこうたい)【左ルビ:キヲオホヒニヒロク】更(さら)に幼弱(ようじやく)の者(もの)に
似(に)ず父(ちゝ)「ヒリッピュス【」脱】王(わう)嘗(あへ)て大(おほひ)に敵(てき)に克(か)つ帝(てい)是(これ)を聴(きゝ)
其(その)友(とも)に向(むかつ)て泣(ない)て曰(いわ)く父王(ちゝわう)我(われ)に功名(こうみやう)の地(ち)を遺(のこ)さ