翻刻
【右丁】
中なごんゆきひらのむすめのはらなり
八十【丸で囲む】昔。おとろへたる家に。ふしの花うへたる人有けり。やよひのつごもり
に。其日あめそぼぶ【ママ】るに人のもとへをりて。奉らずとてよめる
《割書:古今》ぬれつゝぞしゐて折つる年の内に春はいくかもあらじとおもへば
八十一【丸で囲む】むかし。左のおほいまうち君。【注①】いまぞかりけり。かも川のほとりに。
六条わたりに。家をいとおもしろくつくりて住(すみ)給ひけり。かみな月の
晦日がた。菊(きく)の花うつろひ。さかり成に。もみぢのちくさにみゆるをり。
みこたちをはしまさせて。夜一よ酒のみしあそびて。夜あけもて
行ほどに。此殿のおもしろきをほむる哥よむ。そこに有けるかたいおき
な【注②】いたじきのしたにはいありきて。人にみなよませはてゝ。よみける
しほがまにいつかきにけんあさなぎにつりするふねはこゝによらなん
と。なんよみけるは。みち【陸奥】の国にいきたりけるに。あやしくおもしろき所々
おほかりけり。わがみかど【注③】六十よこくの中に塩(しほ)かまといふ所ににたる所な
【注① 「オホキマヘツキミ」の転。大臣。】
【注② かたゐ翁=乞食じじい。人を卑しめて呼んだ語。】
【注③ 本朝】
【左丁】
かりけり。さればなんかの翁(おきな)さらにこゝをめてゝ。塩釜(しほかま)にいつかきにけんよめりける
八十二【丸で囲む】昔。これたかのみこと申。みこをわしましけり。山ざきのあなたに。み
なせといふ所に宮有けり。年ことの桜の花ざかりには。其 宮(みや)へなんをは
しましける。其時右の馬の守成ける人を。常にゐてをわしましけり。時よへて
久しく成にければ其人の名わすれにけり。かりはねん比にもせで酒をの
み。のみつゝ。やまとうたにかゝれりけり今かりするかたのゝなぎさの家。
その院の桜。ことにをもしろし。其木のもとにおりゐて。えだを折てか
ざしにさして。上中下(かみなかしも)皆(みな)哥よみけり。馬のかみ成ける人のよめる
《割書:古今》世[の]中にたえて桜のなかりせは春の心はのどけからまし
となん。よみたりける又人のうた
ちればこそいとゝ桜はめてたけれうき世に何かひさしかるべき
とて。其木のもとは立てかへるに。日くれに成ぬ。御供なる人。酒をも
たせて野より出きたり。此酒をのみてん【注④】とて。よき所をもとめ行に。
【注④ 飲んでしまおう。】