翻刻
【右丁】
《割書:古今》思へども身をしわけねばめかれせぬ雪のつもるぞわが心なる
と。よめりけれよめりければ。みこいといたう哀(あはれ)がり給ふて。御ぞぬぎて給へりけり
八十六【丸で囲む】昔。いと若き男。若き女をあひいへりけり。をの〳〵親(をや)有ければ。つゝみていゝ
さしてやみにけり。年比(としごろ)へて女の許(もと)に。猶心ざし果(はた)さんとや思ひけん。男哥をよみやりける
《割書:新古今》今まてにわすれぬ人は世にもあらじをのがさま〳〵年のへぬれは
とて。やみにけり。男も女もあひはなれぬ宮(みや)づかへになん出にける
八十七【丸で囲む】昔男。つの国むばらの郡(こほり)あし屋の里(さと)に。しるよしゝていきて住けり昔の哥に
《割書:新古今》あしの屋のなだのしほやきいとまなみつげのおぐしもさゝずきにけり
とよみける。そこの里(さと)をよみける。こゝをなんあしやのなたとはいひける
。此男。なま宮づかへしければ。それを便(たより)にて。えうのすけどもあつまり。
きにけり。此男このかみも。えうのかみ成けり。其家のまへの海(うみ)の辺(ほとり)に
あそびありきて。いざ此山のかみに有といふ。ぬの引のたき見にのぼらんと
いひて。のぼりてみるに。其たき物よりことなり。長(なか)さ廿 丈(しやう)ひろさ五丈ば
【左丁】
かりなるいしのおもてに。白きぬにいわをつゝめらんやうになん有ける。さる
滝【瀧】のうへに。わらふだ【注】の大さしてさし出たる石有。その石(いし)のうへのはしり
かゝる水は。小かうじくりの大さにて。こぼれをつ。そこなる人にみな
たきのうたよますかのえうのかみまづよむ
《割書:新古今》わが世をばけふかあすかとまつかひの涙(なみだ)のたきといづれたかけん
あるじつぎによむ
ぬきみたる人こそ有らし白玉(しらたま)のまなくもちるか袖のせばきに
と。よめりければ。かたへの人わらふ事にや有けん。此うたにめでゝやみにけり。
帰りくる道とをくてうせにし。くないきやうもちよしか家のまへくるに
日くれぬやどりの方をみやれば。あまのいざり火おほくみゆるに。かの主(あるじ)の男哥よむ
《割書:新古今》はるゝ夜の星(ほし)か河辺のほたるかも我すむかたのあまのたくひか
と。よみて家にかへりきぬ其夜南の風 吹(ふき)て。波(なみ)いとたかしつとめて其家
のめの子共出て。うきみる【浮海松】の波によせられ□【「た」ヵ】る。ひろいて家の内にもてきぬ
【注 藁を縄にない、渦に巻いて平たく組んだ敷物。わらざ。】