翻刻
【右丁】
百十四【丸で囲む】むかし仁和のみかと。【注①】せり川に行幸し給ひける時。今はさる事なれ
なく思ひけれど。もとつきにける事なれば。おほたか【大鷹】のたかかひ【鷹飼】にて
さふらはせ給ひける。すりかりぎぬ【摺狩衣】のたもとにかきつけける
おきなさび【注②】人なとかめそかりころもけふばかりとぞ田鶴(たつ)もなく成
おほやけの御けしきあしかりけり。をのがよはひを思ひけれと。わかゝら
ぬ人はきゝをひけりとや
百十五【丸で囲む】むかし。みちの国にて男女すみけり。男 都(みやこ)へいなんといふ。此女い
とかなしうて。むまのはなむけをだにせんとて。おきのゐて【注③】みやこし
まといふ所にて。さけのませてよめる
《割書:古今》おきのゐて身をやくよりもかなしきはみやこ島べのわかれ成けり
百十六【丸で囲む】むかし男。すゞろにみちの国迄まどひいにけり。京に思ふ人にいゝやる
《割書:拾遺》なみまよりみゆる小島のはまひさし【注④】久しく成ぬ君にあひみて
なに事も。みなよくなりにけりとなん。いひやりける
【注① 光孝天皇。仁和は在位中の年号。】
【注② 老人らしくふるまう。】
【注③ 語義未詳。】
【注④ 浜庇。「浜楸(浜辺のひさき)」を伊勢物語で読み誤ったためにできた歌語という。多く「久し」を導く序として使われる。浜辺の家のひさし。】
【左丁】
百十七【丸で囲む】むかし。みかとすみよしに行幸し給ひけり
《割書:古今》われ見ても久しく成ぬ住吉(すみよし)のきしのひめ松いくよへぬらん
御神げきやう【注⑤】したまひて
《割書:新古今》むつまじと君はしらなみみづかきの久しき代よりいはひそめてき
百十八【丸で囲む】昔男。久しく音(をと)もせで。わするゝ心もなく。まいりこんといへりければ
《割書:古今》玉かづらはふ木あまたに成ぬればたへぬ心のうれしげもなし
百十九【丸で囲む】むかし。女のあだなる【注⑥】男のかたみとて。をきたる物ともをみて
《割書:古今》かたみこそ今はあだなれこれなくばわするゝ時もあらまし物を
百廿【丸で囲む】むかしおとこ。女のまた世へずとをほへたるが。人の御もとにし
のひて。ものきこゑてのち。ほどへて
あふみなるつくまのまつりとくせなんつれなき人のなべのかずみん
百廿一【丸で囲む】むかしおとこ。梅(むめ)つぼよりあめにぬれて。人のまかりいづるをみて
うぐひすの花をぬふてふかさもがなぬるめる【注⑦】人にきせてかへさん
【注⑤ げぎょう(現形)=「ゲンギヤウ」の撥音「ン」を表記しない形。神仏など霊的なものが姿を現す事。】
【注⑥ 浮気な。】
【注⑦ 「濡る」終止形+推量の助動詞「めり」の連体形。濡れて行くだろう】