翻刻
む若那復固く拒みて聴かす剰さへ使僧等を罵
辱す使僧等怒りて那覇を発し船を中の島に繋
き飛船を以て其状を具報す龍雲琉球の地図を
作り以て遁走す十四年二月義久義家家久琉球
征討の議を決し軍律十三章を定め樺山久高《割書:権|左》
《割書:衛|門》を以て大将とし平田増宗《割書:太郎左|衛門》を以て副将
とし凡総勢三千余人の兵を具し戦艦百余艘に
打乗り七島の舟子小松吉兵衛等を持て先導と
し二十一日前軍鹿児島を発す《割書:喜安日記ヲ按スル|ニ宗従の侍三百余》
《割書:人都合其勢三千余人七十余艘ノ舟ニ取乗リ慶|長十三年三月三日幕府ヲ立チ山河ニ着キ舟汰》
《割書:シテ明ル四日出船ストアリ中山世譜曰三十七|年巳酉春日本以大兵入国執王至薩州トアリ三》
《割書:十七年ハ万暦三十七年ニシ即慶長|十四年ニ当レリ今ハ世譜ニ従フ》義弘家久両
将を送りて山川港に至る義弘密かに久高に諭
して曰く那覇港は防御必す厳ならん宜しく其
不意に出て侘港より進入すへし久高旨を拝す
三月四日山川を発し七日大島に至る久高は津
代港より増宗は西間切より入り銃を放て攻撃
す酋長笠利に屯し兵を分ちて防戦す島民驚き
て曰棍端に火を発てり当るへからすとて遁れ
て山林に匿る那覇大屋子《割書:那覇人ヲシテ大島諸|群ヲ治メシムルモノ》