翻刻
七千五百人に十箇月間の口糧とを以てす兵罷
むに及ひ僅に其半を輸す薩摩藩主に命して督
促猶頻りなり若那池城の親方等七島の夥長に
頼り銀子を藩に仮りて其不足を補ひ年々夥長
に付して米を輸して消却せんことを請ふ因て
之を許す其後年を経て米を輸さす是に至り夥
長を遣り督責す若那曰既に輸送せり復た償ふ
へきものなしと夥長曰吾等の船未た一たひも
米を載せて至りしことなしと若那大に怒り夥長
を拘留し数日の後纔に放ち還す夥長其由を薩
摩に報聞す是の時家久伏見に在り其臣島津忠
長等に命じ戦艦を造り明年の秋に及ひ将さに
大島を討せんとす《割書:時ニ幕府駿河城ヲ築キ土役|費ヲ列侯ニ課ス十一月命ヲ》
《割書:下シ特ニ薩摩ノ課役を免ス盖|シ琉球ニ事アルヲ以テナリ》十二年明主閩人
阮国毛国鼎の二人を琉球の臣籍に入るを許す
盖し洪武永楽間賜ふ所の三十六姓漸く絶滅に
属す因て其欫を補ふなり十三年九月家久幕府
の免可を受け兵を募りて琉球を征せんとす先
つ大慈寺の僧龍雲広済寺の僧雪岑及ひ島原宗
安等を遣し旨を諭して速かに駿河に入貢せし