← 前のページ
ページ 305 / 800
次のページ →
翻刻
ヘ行幸。詩歌(シカ)管絃(クハンケン)【注】船遊等ヲモヨホス。其 経営(ケイエイ)ノ具(グ)ハ。
金銀 珠(シユ)玉ヲ以テカザレリ。頼通 准(ジユン)三 后(グウ)ノ宣旨(センジ)ヲ蒙
ル。十七日ニ還(クハン)幸。頼通年スデニ七十ニアマルユヘ。此所ニ
山 荘(ザウ)ヲカマヘ。常ニ住(スミ)ケルユヘ。宇治 ̄ノ関白ト号ス。関白ヲ
上⁻表(ヘウ)スト云トモ。勅 許(キヨ)ナキユヘ。宇治ニ居(ヲル)トイヘトモ。朝 務(ム)
大⁻小トナク。アヅカリ沙汰セリ
四年正月元日。日⁻蝕(シヨク)シケレバ。先例ニヨリテ。御殿ニ簾(スダレ)ヲ
垂(タレ)テ。朝⁻拝(ハイ)の礼行ハレズ 四月十九日。天皇崩ス。歳四
十四 年号永承七年 天喜五年 康平七年
治暦四年。 合在位二十三年
王代一覧巻之三
【注 別本による】
現代語訳
へ行幸があった。詩歌や管弦【注】、船遊びなどが催された。その設営の道具類は、金銀珠玉で飾られていた。頼通は准三后の宣旨を受けた。十七日に還幸された。頼通は年齢がすでに七十を超えていたため、この場所に山荘を構えて、常に住んでいたので、宇治関白と号した。関白を辞表したとはいえ、勅許がないため、宇治に居住していても、朝廷の政務の大小を問わず、すべて預かり沙汰していた。
四年正月元日、日食が起こったので、先例により、御殿に簾を垂らして、朝拝の礼は行われなかった。四月十九日、天皇が崩御された。享年四十四歳。年号は永承七年、天喜五年、康平七年、治暦四年。合計在位二十三年であった。
王代一覧巻之三
【注 別本による】