翻刻
【右頁】
種痘(しゆとう)を万国(ばんこく)にて経験(こゝろみ)し書籍最(しよかりもつと)も居多就中名哲混私氏(おふしなかんづくなだあきコンスうじ)の書(しよ)
に種痘を二十万人に行(おこな)ひしに一人も復(ふたゝ)び天然痘(ほうそう)に罹(かゝ)りし者なし
といへり又/浪花(おふさか)に。於(おい)ても余師洪庵緒方先生(わがしこうあんおかたせんせい) 官命(こうぎのおふせ)を蒙(かふむ)り館(くわん、やかた)
を市中(まちうち)に開(ひら)きその術(じゆつ)を施(ひどこ)す事年(こととし)に万(まん)を以て数(かそ)ふべし
殊(こと)に年々(とし〳〵)市中へかならず種痘をいたし置(おく)べしとの 官命(おふせ)あり
て又/其館(そのくわん)証券(てがた、しやうもん)を渡(わた)さるゝを以て其館実(そのくわんじつ)に盛々(せい〳〵、さかん)たる事世(よの)
人普(ひとあまね)く知(し)る所(ところ)なり然(しか)るに彼(か)の無稽(ものごとしらい)の医師(いし、いしや)今時の偽痘(ぎとう)を真(しん)
痘(とう)と見/誤(あやま)り復(また)これを口実(いひぐさ)として愈是(いよ〳〵こ)の良法(まさほう)を挫(くじか)ん為乎(ためか)世
上へ流布(ろふ、いいふらす)するには以往(これまで)種痘せし者も今時(このせつ)の痘厄(ほうそう)に罹(かゝ)りし者多
ふきによつて彼(か)の浪花(おふさか)の館且藤堂侯(くわんかつとう〴〵こう)の徐痘館(じよとうくわん、きへぼうそうのやかた)も皆倶(みなとも)に停止(ちやうじ)に
【左頁】
なりし杯(など)といふ者あり殊(こと)にしらず今茲(ことし)の如(ごと)く死斃(しゝたお)るゝ者多(おふし)といへども
種痘(しゆとう)せし者/再(ふたゝ)び真痘(しんとう)を受(うけ)しといふ者(もの)にかぎり死(し)する者なきは論(ろん)
なし唯凹痕(たゞみつちや)を遺(のこ)せし者もなきを以て偽痘(ぎとう)たる事を暁(さと)るべき
に医(いしや)としてこれを暁らざるは無識(むしき)の又/無識(むしき)と謂(いひ)つべし是等(これとう)の
妄悦固(ぼうせつもと)より信(しん)ずるに是(たら)ずといへども今此書(いまこのしよ)を綴(つゞる)に付(つ)き実事(じつじ)を
述(のべ)んが為(ため)に人を浪花(おふさか)の館(くわん)に往(ゆか)しめ余(よ、われ)も又故藤堂侯(またわざ〳〵とう〴〵こう)の古市陣(ふるいつじん)
屋(や)往(ゆつ)てこれを索(たづ)ぬるに官士(くわんし、やくにん)森氏君述(もりうじくんのべ)られしには我種痘(わかしゆとう)は官令(かみのおふせ)
を以て勢賀和城(せいがわじやう)の四州(ししう)の領(りやう)に行(おこな)ひし事十有余年(ことじうよねん)なれば算(さん)を以(もつ)
て数(かぞ)へがたし最(もつと)も今時(このせつ)の如(ごと)く世上に死(し)する者/多(おふ)しといへとも我領(わかりやう)に於(おい)ては
真痘(しんとう)の者一人もある事なきが故(ゆ)に国中甚(こくちうはなは)だ静証(しづか)なりといへり此(こゝ)を以て