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小鼓(こつゝみ)を打(うち)つゝ。月(つき)にはつらき小倉山(をくらやま)その名(な)はかくれざりけりと。くせ舞(まひ)〳〵
のうたひをうたひ物(もの)を乞(こふ)さまなり。往来(ゆきゝ)あまたの人(ひと)のうちより。年(とし)の
ころほひ十六七とおぼしく。容貌(みめかたち)すぐれて美(うつ)しき娘(むすめ)。田舎染(いなかぞめ)とは見ゆれど。
紅(くれなゐ)のこぞめの梅(うめ)の小枝(さゑだ)に。春霞(はるかすみ)立田(たつた)の山(やま)の鴬(うぐひす)といふ文字(もじ)を。縹(はなだ)にそめ
いだしたる。木綿(もめん)の振袖(ふりそで)着(き)て。もすそかゝげ。褌衣(おひづる)かけ。手覆(ておほひ)脛巾(はゞき)草(わら)
鞋(づ)を穿(はき)。菅(すげ)の小笠(をがさ)をたづさへて。巡礼(じゆんれい)の道者(だうしや)と見えたる女。かの浪人(ろうにん)の
傍(そば)にちかづき。扨(さて)もしほらしき鼓(つゞみ)の音(ね)ぞといひつゝしばしたゝずみぬ。
かの浪人(ろうにん)編笠(あみがさ)ごしに。此(もの)女(をなご)をつら〳〵見て。さてもいぶかしさよ。おことはおさ
なき時(とき)。出雲(いづも)の国(くに)大社(おほやしろ)の社家(しやけ)に。養子(やうし)につかはしたる。八重垣(やへがき)にはあら
ずやといふ。かの女これを聞(きゝ)。打(うち)おどろきたるさまにて。しばし荅(いらへ)もせず。只(たゞ)
打(うち)まもりて居(を)る。浪人(ろうにん)ふたゝびいひけるは。かく零落(れいらく)してむかしにかはる
姿(すがた)なれば。いぶかるも理(ことはり)なりとて。声(こゑ)をひそめ。それがしはおことが兄(あに)長谷部(はせべの)
雲六(うんろく)なるはといふにぞ。女は益(ます〳〵)おどろきたる体(てい)なりけり。かくて雲六(うんろく)女をもの
蔭(かげ)にいざなひ。笠(かさ)ぬぎていひけるは。世(よ)を忍身(しのぶみ)なれば。人目(ひとめ)おほき所(ところ)にては
面(おもて)をあらはしがたし。おことは何(なに)ゆゑかゝる姿(すがた)となり。具(ぐ)せる人(ひと)もなく若(わか)き
女の身(み)にてたゞひとり。此辺(このへん)には来(きた)りしぞと。とはれて女さては兄(あに)うへにておはし
けるものをとて。涙(なみだ)さしぐみ。さきほどかしこの算(さん)おきにうらなふてもららひ
しに。けふたづぬる人(ひと)にあはめといひしは。まことに見通(みとほ)じのうらなひなり。
さて妾(わらは)が薄命(はくめい)を聞(きゝ)てたべ。養家(ようか)の父(ちゝ)母(はゝ)此(この)春(はる)わづか一 月(つき)の間(あひた)に。つゞき
て身(み)まかり玉ひ。妾(わらは)ひとりあとにのこりしが。養父(ようふ)の弟(をとゝ)にて妾(わらは)がためには
伯父(をぢ)なる人(ひと)。養父(ようふ)の遺財(いざい)を奪(うばひ)とらんたくみにて。情(なさけ)なくも妾(わらは)をおひ
出(いだ)しぬれば。せんすべなく。此(この)うへは兄(あに)うへにあひて。身(み)のうへをたのみ申す
【欄外】くせ舞々といふものふるし文明の職人尽に見へたり