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だつ雲(くも)に稲妻(いなづま)の。閃々(せん〳〵)たる形(かた)をすらせたるに。釘線(はりがね)入(いれ)たる袖(そで)べりかけて。
一ツまへに着(き)なし。はつぱの鮫函(さめざや)の大小(だいしやう)を関(くわん)の木(き)におび。目(め)せき笠(がさ)の下(した)に懐(ふところ)
紙(がみ)の覆面(ふくめん)かけ。肩(かた)を首(くび)より高(たか)くさしはりて。六方(ろつはう)かゞりに手(て)を打(うち)ふり
つゝ大路(おほぢ)せましと歩(あゆ)み来(く)る侍(さむらい)あり。已(すで)に両人(りやうにん)ゆきちがひける時(とき)。三本傘(さんぽんからかさ)の
紋(もん)つけたるこなたの侍(さむらい)。あやまりてかなたの侍(さむらい)の刀(かたな)の鞘(さや)に鞘(さや)をはつしと打(うち)
あてけるが。雲(くも)に稲妻(いなづま)の侍(さむらい)。こなたの璫(こじり)をしかとにぎり。臂(たゞむき)をおしはりて
怒(いか)れる体(てい)なり。こなたはその手(て)を払(はら)ひのけてゆかんとすれば。かなたはまた猿(ゑん)
臂(ひ)を伸(のば)して引(ひき)とゞむ。たがひに口(くち)には一言(いちごん)をいはずといへども。つひに刀(かたな)を抜(ぬき)はなし
て。丁々(てう〳〵)しとゝ打(うち)あひければ。群集(くんじふ)の諸人(しよにん)これを見て。すは諠譁(けんくわ)よとさは
ぎ立(たち)。東西(とうざい)に散乱(さんらん)して。ひろき大路(おほろ)に只(たゞ)両人(りやうにん)。うけつながしつ。斬(きり)むすぶと
いへども。両人(りやうにん)の猛(たけ)き勢(いきほひ)におそれて。誰(たれ)ひとりこれをとゞむる者(もの)なかりけり。
時(とき)に此(この)曲中(くるは)第一(だいいち)の名妓(めいぎ)とよばれて。その名(な)世(よ)にかくれなき。神林(かんばやし)道順(だうじゆん)が
もとの。葛城(かつらき)といふあそび女(め)。籬(まがき)のうちより此(この)体(てい)を見て。いそがはしく裙(もすそ)かい
とりて出来(いできた)り。いとあやうげなる剣(つるぎ)の下(した)をぐゝりて。両人(りやうにん)のへだてと
なり。鴬(うぐひす)の囀出(さへづりいで)たるがごとき声(こゑ)していひけるは。おん二方(ふたかた)ともによしありげなる
おん方(かた)と見えはべるに。所(ところ)をもきらひ玉はず。刃傷(にんじやう)におよび玉ふは。おぼしめし
たがひにやあらん。いかなる宿恨(しゆくこん)のあるかはしらざれども。此(この)諠譁(けんくわ)は妾(わらは)に玉
はりて。双方(そうはう)ともにおん刀(かたな)をおさめたびなんやと。笑顔(ゑがほ)つくりてとゞめけり。
両人(りやうにん)は葛城(かつらき)が理(ことわり)ある詞(ことば)にや恥(はぢ)けん。思ふ旨(むね)やありけん。ひとしく打(うち)うなづき
つゝ。刀(かたな)を□(さや)におさめて。衣服(いふく)の塵(ちり)を打払(うちはら)ひ。雲(くも)に稲妻(いなづま)の侍(さむらい)は出口(でくち)の方(かた)
へわかれゆく。三本傘(さんぼんからかさ)の侍(さむらい)も退(しりぞ)かんとしたるを。葛城(かつらき)袖(そで)をとりてしばしと
とゞめ。かしこの編笠茶屋(あみがさちやや)にゐてゆきて。あるじの女にしばしこゝかしてよといへば。