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されば。胸(むね)いとさはぎ。此(この)所(ところ)一方口(いつはうぐち)なれば。外(ほか)にかへるべき道(みち)もなきに。
こはこゝろえぬ事(こと)ならずや。我(われ)は出口(でぐち)までゆきて見べければ。汝(なんぢ)は
こゝにありて心(こゝろ)をつけよといひ捨(すて)て。出口(でくち)の方(かた)へはしりゆく。時(とき)に
むかふの方(かた)より。一乗(いちじやう)の駕篭(かご)をかゝげて馳来(はせきた)りけるが。駕篭(かご)かき
ども山(さん)三郎が刀(かたな)の光(ひかり)のきらめくを見て仰天(ぎやうてん)し。駕篭(かご)を地上(ちしやう)に
打捨(うちすて)て。飛(とぶ)がごとくに逃去(にげさり)ぬ。山(さん)三郎 駕篭(かご)のうちうたがはしく思ひ
つゝ。刀(かたな)のきつさきにて垂(たれ)をあげてうちを見れば。雲(くも)に稲妻(いなづま)の
衣裳(いしやう)着(き)たる侍(さふらひ)。編笠(あみがさ)をきたる侭(まゝ)にて駕篭(かご)のうちにありければ。
心(こゝろ)に喜(よろこ)び。いかに伴(ばん)左衛門 我(われ)は是(これ)山(さん)三郎なり。汝(なんぢ)を打(うち)て亡父(ばうふ)の宿(しゆく)
恨(こん)をはらさんと。これまで心(こゝろ)を尽(つく)せしかひありて。今日(こんにち)唯今(たゞいま)出会(しゆつくわい)
する事(こと)。盲亀(まうき)の浮木(ふぼく)にあひ。優曇花(うどんげ)の花(はな)咲(さく)時(とき)を得(え)たるに
異(こと)ならず。とく〳〵出(いで)て勝負(しやうぶ)を決(けつ)せよとよばゝれば。伴(ばん)左衛門 一言(いちごん)を
こたへず。何(なに)うろたへけん刀(かたな)も抜(ぬか)ず。駕篭のうちよりよろめき出(いで)
て。山(さん)三郎が胸(むな)ぐらにとりつきけるにぞ。山(さん)三郎 刀(かたな)をあげて腕(かひな)をきり
はなせば。手首(てくび)は胸(むね)に残(のこ)り。呀(あ)と一声(ひとこゑ)さけびてたふるゝ所(ところ)を。首(くび)ちうに
打落(うちおと)し。いそがはしく首(くび)をとりあぐる折(おり)しも。曲中(くるは)の方(かた)に人声(ひとごゑ)おひたゞしく
きこえければ。若(もし)首(くび)を奪(うばゝ)れてはかなふまじと。手ばやく編笠(あみがさ)に包(つゝみ)て
たづさふる間(ま)もあらせず。曲中(くるは)の者(もの)ども提灯(ちやうちん)をともしつれ。手に〴〵棒(ぼう)を
おつとりて。大勢(おゝせい)四方(しほう)をとりかこみ。狼籍者(らうぜきもの)を打(うち)たふして。はやく縄(なは)を
かけよとひしめきぬ。山(さん)三郎 声高(こゑたか)く。これは狼籍者(らうぜきもの)にあらず。大和(やまと)
の国(くに)佐々木(さゝき)判官(はんぐわん)の家臣(かしん)。名古屋(なごや)山(さん)三郎 元春(もとはる)といふ者(もの)。父(ちゝ)の仇(あた)を打(うち)
たるなり。かならずあやしむべからずといへども。曲中者(くるわのもの)どもしかいふは