← 前のページ
ページ 185 / 192
次のページ →
翻刻
ながらうけたまはり度(たく)候といひければ。蜘手(くもで)の方(かた)もその尾(を)につき。妾(わらは)が悪(あく)
意(い)などゝは思はぬ濡衣(ぬれぎぬ)きる事(こと)よと。つぶやきてぞ居(ゐ)たりける。時(とき)に景(かけ)
春(はる)つとたちて椽(えん)さきに出(いで)。先刻(せんこく)申しつけおきたる縄(なは)つきをとく〳〵
これへ引(ひき)いだせとよばゝりければ。庭(には)ずゑに梅津(うめづ)が従者(じゆうしや)大勢(おゝぜい)ひかへたる
背後(うしろ)より。名古屋(なごや)山(さん)三郎 礼服(れいふく)を着(ちやく)し。修験者(しゆけんじや)頼豪院(らいごういん)を高手小(たかてご)
手(て)にくゝりあげ。鹿蔵(しかそう)猿(さる)二郎 両人(りやうにん)に縄(なは)をとらせて庭上(ていしやう)にひきすへ
たり。胆(きも)ふとき蜘手(くもで)の方(かた)強悪(かうあく)の道犬(だうけん)もこれを見て仰天(ぎやうてん)し。なげ首(くび)して
ぞしほれける。景春(かげはる)のいひけるは某(それがし)ゆゑありてかの者(もの)を捕(とら)へ。悪人(あくにん)ともの奸(かん)
計(けい)をちくいちに糺明(きゆうめい)せしが。此場(このば)に於(おき)ていはさねば証拠(しやうこ)にならず。山(さん)三郎
それはからへと命(めい)じければ。山(さん)三郎 立(たち)より。刀(かたな)の璫(こじり)をもつて頼豪院(らいごういん)がいま
しめの縄(なは)を。しめあげ〳〵とく〳〵白状(はくじやう)仕(つかまつ)れといへば。頼豪院(らいこういん)面(おもて)をしはめ
蜘手(くもで)の方(かた)道犬(だうけん)がたのみによりて月若(つきわか)を呪咀(しゆそ)したるより。詐筆(にせふで)の願書(ぐわんしよ)を
以(もつ)ていてふの前(まへ)母子(ぼし)を罪(つみ)におとしたる本末(もとすへ)を。こまかに白状(はくじやう)しければ。判官(はんぐわん)貞(さだ)
国(くに)はじめてこれを聞(きゝ)。只(たゞ)あきれて居(ゐ)たりけるが。たちまち怒気(どき)天(てん)にさかのほ
り。道犬(だうけん)が髻(もとゞり)つかみてねぢたふし。我(われ)多病(たびやう)なるを以(もつ)て家事(かじ)を汝(なんぢ)にゆだね
たるに。思慮(しりよ)浅(あさ)くして汝等(なんぢら)にあざむかれたるくちをしさよ。肉醤(しゝひしほ)になす
ともあきたるべからず。たとへ我(われ)をばあざむくとも。いかでか青天(せいてん)をあざむく
べきやとて。大小(たいしやう)をとりあげ。庭上(ていしやう)に踢(け)おとしければ。山(さん)三郎 飛(とび)かゝりて
おさへつけ。高手小手(たかてこて)にぞくゝりける。蜘手(くもで)の方(かた)此(この)体(てい)を見て。積悪(せきあく)の罪(つみ)
のがれがたしとや思ひけん。懐剣(くわいけん)を抜(ぬく)よりはやくのんどぶえにつきたてゝうつ
ぶしにぞ伏(ふし)たりける。思ふに年来(ねんらい)の隠悪(いんあく)かく一時(いちじ)にあらはるゝも。総(すべて)是(これ)皇(くわう)
天(てん)の罰(ばつ)し玉ふ所(ところ)也。豈(あに)おそれざらんや。時(とき)に花形丸(はながたまる)蜘手(くもで)の方(かた)の死骸(しがい)に