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手(て)をとりゆくむかふへ。又ぱつと炎(ほのほ)燃(もへ)て。藤波(ふぢなみ)が姿(すがた)すくと立(たち)。なほもやら
じとさゝへたり。妻(つま)子(こ)の目(め)には見へねども。三八郎が目前(めさき)にはまぼろしの
ごとくつきまとはり。此(こゝ)にあらはれ彼処(かしこ)に立(たち)て。斬(きれ)ど払(はら)へど立さらず。勇気(ゆうき)
烈(はげ)しき三八郎も。身(み)うちしびれ足(あし)なへぎて走(はし)ることあたはず。妻(つま)の
礒莱(いそな)ももろともに。たぢ〳〵と引(ひき)もどされ。髪(かみ)も乱(みだ)れもすそも破(やぶ)れ。
身体(しんたい)すくみて倒(たふ)れしが。やう〳〵心(こゝろ)を励(はげま)して。百歩(ひやつぽ)ばかりも逃去(にげゆく)時(とき)。
烈風(れつふう)颯(さつ)とおろし来(き)て。大粒(おほつぶ)の雨(あめ)つぶてを打(うつ)がごとく降(ふり)かゝり。一団(いちだん)の心火(しんくわ)
あとを追(おひ)て飛来(とびきた)り。見る〳〵空中(くうちう)にて二つにわかれ。一つは娘(むすめ)楓(かへて)が懐(ふところ)に入(いり)。一つ
は栗(くり)太郎が懐(ふところ)にいりぬ。是(これ)乃(すなはち)藤波(ふぢなみ)が死霊(しりやう)。兄弟(きやうだい)の児等(こどもら)につき恨(うらみ)を報(むくゆ)る
一端(いつたん)なり。かくて夫婦(ふうふ)こけつまろびつ。たゞ走(はし)りに走(はし)り。辛(からう)じて遥(はるか)に逃(にげ)
のび先(まづ)身体(しんたい)恙(つゝが)なきを喜(よろご)びけり。此(この)時(とき)にいたりてやう〳〵風雨(ふうう)おさまり
雲(くも)はれて朧月(おぼろづき)さし出(いで)。草(くさ)の緑(みどり)に影(かげ)うつるを便(たより)に北山(きたやま)を過(すぎ)杉坂(すぎさか)を上(のぼ)り
あまりに息(いき)たゆければ。茂林(もりん)のうちにいり。夫婦(ふうふ)背上(せなか)より両人(ふたり)の子(こ)を
おろして岩(いはほ)の上(うへ)に尻(しり)かけ濡衣(ぬれぎぬ)をしぼり。清水(しみつ)に咽(のんと)をうるほしなとして
権(しばし)やすらひ居(ゐ)たる折(をり)しも。坂(さか)のうへより若(わかく)うつくしき女(をんな)ちらし髪(かみ)素足(すあし)
にて。ぬかり道(みち)をびしよ〳〵と歩(あゆ)み来(き)ぬ。よく〳〵見れば何(なに)にかあらん煙(けふり)の
やうにて。壁人(かげぼうし)のことく。人(ひと)の形(かたち)したるもの。女の前(さき)に立(たち)。糸(いと)のやうなる手(て)を
あけてさしまねく。まねけば女 足(あし)をはやめて歩(あゆ)む。まねかざれば女 立(たち)
とゞまり。頭(かうべ)を傾(かたふけ)て物(もの)をおもふさまなり。女 立(たち)とゞまればかの怪物(あやしきもの)。又 手(て)を
あげてさしまねくかくしつゝも女。旧(ふる)榎(ゑのき)の下(もと)にいたり権(しばし)たゝずみてさめ〴〵
と泣(なき)居(ゐ)たるが。かの怪物(あやしきもの)梢(こずゑ)をゆびさせば。女あふぎ見(み)てうなづき。なほさめ〴〵
と泣(なく)涙(なみだ)梢(こすゑ)の雫(しつく)とおちかゝる。怪物(あやしきもの)又 榎(ゑのき)の枝(えだ)をゆびさし。物(もの)打(うち)かくる仕方(しかた)を