翻刻!江戸の医療と養生

コレクション: 模範解答付きコレクション1

昔話稲妻表紙 - 翻刻

昔話稲妻表紙 - ページ 42

ページ: 42

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冥福(めいふく)を得(う)る種(たね)にもと農業(のうぎやう)の片手(かたて)にも。念珠(すゞ)をはなさず。たえす 念仏(ねんぶつ)をとなへければ。里人(さとひと)異名(いみやう)をつけて。六字(ろくじ)南無(なむ)右衛門とよびけるを みづからも世を忍(しの)ぶにはよき名(な)なりとおもひて。つひに実名(しつみやう)としたりけり さて又 後(のち)々聞(きけ)ば。藤波(ふぢなみ)を殺(ころ)したる夜(よ)。金岡(かなをか)の筆(ふで)百蟹(ひやくがい)の図(づ)の絵巻物(ゑまきもの) 紛失(ふんじつ)し。長谷部(はせべ)の雲六(うんろく)と計(はか)りて。盗取(ぬすみとり)たりと沙汰(さた)ありつるよし盗人(ぬすびと)の 立田(たつた)の山(やま)に入(いり)て。おなじかざしの穢(けがれ)たる名(な)を得(う)ること。豈(あに)恥(はぢ)ざらんや。渇(かつ)すれ ども盗泉(たうせん)の水(みづ)を飲(のま)ず。熱(ねつ)すれども悪木(あくぼく)の陰(かけ)に息(やすま)ずとこそ聞(きく)ものを。 いかにもしてかの巻物(まきもの)をたづね出(いだ)し。汚名(おめい)をすゝがばやと兼(かね)ておもひ。一ツには 奸臣(かんしん)不破(ふは)道犬(たうけん)が悪意(あくい)を見あらはして。お家(いへ)の禍(わざわひ)の根(ね)をたち。藤波(ふぢなみ)が 縁者(ゑんじや)に出会(しゆつくわい)して。恨(うらみ)の刃(やいば)にかゝり。死後(しご)の名(な)を清(きよ)くすべしとおもひさだめ。 折(をり)々 面(おもて)をかくして大和(やまと)の国(くに)にいたり。或(あるひ)は京都(きやうと)にいたりて便宜(びんぎ)をうかゞひぬ。 かくてある日(ひ)。大和(やまと)より京(きやう)に赴(おもむく)とて。木津川(きづがは)の渡船(わたしぶね)に乗(のり)けるに。船中(せんちう)乗合(のりあひ)の うちに。一人(いちにん)の老女(ろうぢよ)あり。紅裏(もみうら)の昔模様(むかしもやう)のふるびたる小袖(こそて)に。松皮菱(まつかはひし)の紋(もん)つけ たるを着(ちやく)し。さゝやかなる包(つゝみ)を三輪(みつわ)くみたる腰(こし)につけ。細(ほそ)き竹杖(たけづえ)にすがりたるが。 頭(かしら)は佐野(さの)の白苧(しろそ)を乱(みだ)せるがごとく。身(み)うち枯木(かれき)のやうに痩(やせ)がれたれど。人品(ひとがら)は さまで賎(いや)しからず。紫(むらさき)の小袖(こそで)着(き)たる女(おんな)の船中(せんちう)にあるを。深(ふか)くいみきらふ さまにて。袖(そて)をおもてにおほひて。片(かた)すみにひそまり居(ゐ)たり。ほどなく船(ふね)向(むかふ)の 岸(きし)につき。南無(なむ)右衛門 衆人(しゆうじん)とゝもに岸(きし)にのぼり。かの老女(ろうちよ)と後(あと)におくれ前(さき)に すゝみて行(ゆき)けるに。此時(このとき)紅日(こうじつ)西(にし)に落(おち)て。天色(てんしよく)已(すで)に晩(くれ)なんとす。なむ右衛門 草鞋(わらぢ)のひもをむすぶひまに。かの老女(ろうぢよ)は遥(はるか)に行過(ゆきすぎ)たるが。樹木(じゆもく)おほひかゝりて ほの暗(くら)き所(ところ)を過(すぐ)る時(とき)。四五 疋(ひき)の犬(いぬ)出来(いできた)りてとりまき。頻(しきり)に吠(ほへ)てほど〳〵 くらひつかんとす。老女(ろうちよ)杖(つへ)をあげて打(うて)とも去(さら)ず。なほも飛(とび)かゝらん形勢(ありさま)なり。