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ひきあけて。様子(やうす)を見(み)るに。今(いま)までなきさけびて。もてあましたる栗(くり)太郎。なむ右衛門
を見(み)て礼(いや)正(たゞ)しく座(ざ)をつくり。手(て)をつきていひけるは。こはおもひかけざる事(こと)かな。
此(この)家(いへ)はおん身(み)の宅(たく)にて此(この)小児(しやうに)はおん身(み)の子息(しそく)にて候か。これは前(さき)の月(つき)木津(きづ)
川(かは)の渡場(わたしば)にて。危難(きなん)を救(すくひ)たまはりし老女(ろうぢよ)にてはべり。我(われ)実(まこと)は疱瘡(ほうそう)の神(かみ)なる
が。我輩(わかともから)犬(いぬ)をおそるゝ事(こと)人(ひと)に過(すぎ)たり。我(われ)しばらく京都(きやうと)にありて。痘瘡(もがさ)を
やましめたるが。四五日さき当国(とうごく)にうつり。おん身(み)の家(いへ)ともしらず。こゝに宿(しゆく)し。
此(この)小児(しやうに)につきて疱瘡(ほうそう)をやましめぬ。元来(ぐわんらい)此(この)児(こ)難症(なんしやう)にて。今(いま)一 両(りやう)日を
過(すぐ)れは落命(らくめい)すべき所(ところ)なるに。危急(ききう)の節(せつ)おん身 帰宅(きたく)したまひしは。畢竟(ひつきやう)
此(この)児(こ)の命(いのち)つよき処(ところ)なり。前(さき)の日(ひ)の厚意(こうい)を報(むくゆ)るは此時(このとき)なり。我(われ)とみに
立去(たちさる)べし。我(われ)去(さ)れば疱瘡(はうそう)速(すみやか)にかせおちて平癒(へいゆ)すべきなり。此(この)すゑとても
おん身(み)の族(やから)の家(いへ)には立(たち)よらすまじ。しるしなくては此度(このたび)のごとく誤(あやまる)ことあるべし。
おん身(み)の姓名(せいめい)はいかにと問(とふ)にぞ。なむ右衛門その実名(じつみやう)を告(つく)れば。しからば
鮑貝(あわびがい)のうちにさゝら三八 宿(やど)とかきつけて簷(のき)にかけおき玉へ。その目(ま)
じるしある家(いへ)には。我(われ)は勿論(もちろん)ともからの者(もの)をも立(たち)よらすまじ。はやいとま
申すなりといひおはり。栗(くり)太郎 悶絶(もんぜつ)してたふるゝと見へしが。老女(ろうぢよ)の姿(すがた)
けふりのごとくあらはれ。外(と)のかたへ走(はし)り出(いで)てきへ失(うせ)ぬ。礒菜(いそな)栗(くり)太郎を
抱(いだ)き起(おこ)せば。不思議(ふしぎ)や疱瘡(ほうそう)俄(にはか)にかせおちてあとだになく。気力(きりよく)常(つね)の
ごとくなりけるにぞ。夫婦(ふうふ)奇異(きい)の思(おも)ひをなし。とみに笹湯(さゝゆ)をかけ。赤飯(せきはん)を
調(ちやう)じて。神(かみ)おくりし。なのめならず喜(よろこ)びけり。抑(そも〳〵)痘瘡(とうそう)の日数(につすう)は。三日(みつか)発熱(はつねつ)。
三日 出痘(しゆつとう)。三日 起脹(きちやう)。三日 貫膿(くわんのう)。三日 収靨(しうゑん)。これ常数(じやうすう)なるに。栗(くり)太郎が
痘瘡(もがさ)かく俄(にわか)にかせおちたるは。全(まつた)くかの神(かみ)のたすけにて。南無(なむ)右衛門が
好意(かうい)深(ふか)かりしむくひなりと。此事(このこと)を伝(つた)へ聞(きゝ)人(ひと)みな感(かん)しあへりとぞ。さて