← 前のページ
ページ 177 / 491
次のページ →
翻刻
宗尊親王(そうそんしんわう)補(ほする)_二将軍(しやうぐんに)_一話(こと)
三浦泰村(みうらやすむら)反逆(ほんぎやく)により。一族(いちぞく)門葉(もんは)滅亡(めつぼう)の事(こと)。早/飛脚(びきやく)を以(も)て京都(みやこ)へ注進(ちうしん)
なし。并(ならび)に六波羅守護職(ろくはらしゆごしよく)なる。北條重時(ほうでうしげとき)を鎌倉(かまくら)へ招(まね)き帰(かへ)さる。よつて
同七月/重時(しげとき)鎌倉(かまくら)に帰りければ。時頼(ときより)諸事(しよじ)の政務(せいむ)を談(だん)し。連署等(れんしよとう)万端(ばんだん)迄。
一己(いつこ)の慮見(れうけん)更(さら)に無(な)く。委(こと〴〵)く重時(しげとき)に談(だん)ぜられしより。自(おのづ)から両執権(りよしつけん)のごとく。
これ時頼(ときより)の深慮(しんりよ)ありての事(こと)と聞(きこ)えし。此とき時頼(ときより)を相模守(さがみのかみ)。重時(しげとき)を
陸奥守(むつのかみ)たるべき由/京都(みやこ)より申/来(きた)り。猶又(なほまた)建長(けんてう)三年七月/将軍家(しやうぐんけ)。従(じゆ)
三位左近衛中将(さんみさこんゑのちうぜう)に任叙(にんじよ)し。相模守時頼(さがみのかみときより)を。正五/位下(ゐげ)に叙(しよ)せしめたまふ。
其年もいつしか暮(くれ)て。明(あく)れば建長(けんてう)四年の春(はる)。時頼(ときより)重時(しげとき)と密談(みつだん)なし。
忍(しの)びて都(みやこ)へ使節(しせつ)を立(たて)て。後嵯峨天皇(ごさがてんのう)に密奏(みつさう)し奉るは。当将軍頼(とうせうぐんより)
嗣公(つぐこう)。成長(ひとゝならせ)給ふに従(したが)ひ。文武(ふんぶ)の才(さい)に疎(うと)くまし〳〵。国家(こくか)の政務(せいむ)一向(いつかう)心に懸(かけ)
させ給はず。爰(こゝ)に於(おゐ)て武威(ぶんゐ)おのづから軽薄(けいはく)し。諸人(しよにん)心中(しんちう)更(さら)に重(おも)んじ奉らず