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コレクション: コレクション3

. Japonais 180-181 - 翻刻

. Japonais 180-181 - ページ 196

ページ: 196

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され。程(ほど)なく本復(ほんぶく)は有(ある)といへども。身体(しんたい)疲労(つかれ)甚(はなはだ)しく。病牀(びやうせう)に臥(ふ)す事(こと) 屡々(しは〴〵)なれば。執権(しつけん)の政務(せいむ)を辞(じ)し。三月十一日/出家(しゆつけ)なし。法名(ほうめう)観覚(くはんがく)と 号(がう)せる。則(すなはち)執権(しつけん)は。重時入道(しげときにうどう)の舎弟(しやてい)政村(まさむら)に補(ほ)し。時頼(ときより)と両執権(りうしつけん)と なす。今年(こんねん)十月五日/改元(かいげん)あつて。康元(かうげん)と号(こう)せらる。于爰(こゝに)相模守(さがみのかみ) 時政(ときまさ)は。嘗(かつ)て仏法(ぶつはふ)に深(ふか)く帰入(きにう)し給ひ。去(さん)ぬる宝治年間(ほうぢねんかん)に。蜀(しよく)の 隆蘭渓(りうらんけい)。日本(につほん)に渡(わた)り。仏心宗(ぶつしんしう)を弘通(ぐつう)の折(をり)から。寛元(くはんげん)四年/鎌倉(かまくら)の 寿福寺(じゆふくし)に下向(げこう)ありし時(とき)。時頼(ときより)政事(せいじ)の暇日(かじつ)毎(ごと)に参禅(さんぜん)し。仏法(ぶつはふ)の大(たい) 道(どう)を問(とひ)明(あき)らめ。建長(けんてう)二年に建長寺(けんてうじ)を建立(こんりう)し。道隆禅師(だうりうぜんし)を開山(かいさん) とし。後(のち)又(また)蜀国(しよくのくに)の僧(さう)普寧禅師(ふねいぜんし)。本朝(ほんてう)に来(きた)りしを。建長寺(けんてうじ)にとゞめて 参礼(さんらい)し。見性(けんしやう)せんことを求(もと)め。さま〴〵工夫(くふう)を凝(こら)して終(つひ)に森羅万像(しんらまんざう)山河(さんか) 天地(てんち)与(と)_二自己(じこ)_一无二(むに)无別(むべつ)の理(ことはり)を明(あき)らめらる。普寧(ふねい)こゝに於(おゐ)て   青々(せい〳〵たる)翠竹(すいちく)尽(こと〴〵く)是(これ)真如(しんによ) 欝々(うつ〳〵たる)黄花(くはうくは)無(なし)_レ不(ならざるは)_二般若(はんにや)_一 と示(しめ)され