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参考北條時頼記図会巻五(さんかうほうでうじらいきづゑけんのご)
洛士 東籬主人悠補編
青砥左衛門尉藤綱(あをとさゑもんのぜうふぢつなの)話(?)
夜光(やくはう)垂棘(すいきよく)の珠(たま)も知(し)る人(ひと)なき則(とき)は瓦石(ぐはせき)に等(ひと)しく。聾者(しうしや)【左ルビ「つんぼ」。「しうしや」は「ろうしや」ヵ】瘖子(あんし)【いんしヵおんしヵ】の
儕(ともがら)も使(つか)ふ人(ひと)ある則(とき)は事(こと)を弁(べん)ず。况(いはん)や賢才(けんさい)徳行(とくかう)の君子たるをや。
于爰(こゝに)最明寺(さいめうじ)時頼入道道崇(ときよりにうだうだうさう)の交(ましはり)深(ふか)き。青砥左衛門尉藤綱(あをとさゑもんのぜうふぢつな)といふ
士(し)あり。其(その)先代(せんだい)を尋(たつ)ぬるに。原(もと)は伊豆国(いづのくに)の住人(ぢうにん)。大場(おほば)十郎/近郷(ちかつね)と
いふ者(もの)。去(さん)ぬる承久(ぜうきう)の兵乱(ひやうらん)に。北條義時(ほうでうよしとき)の招(まね)きによつて。宇治(うぢ)の手(て)に
向(むか)ひ。官軍(くはんぐん)と戦(たゝか)ひ。抜群(ばつくん)の軍功(ぐんこう)ありしにより。其勧賞(そのけんしやう)として。上総(かづさの)
の国(くに)青砥庄(あをとのせう)を給(たま)はる。これより青砥(あをと)に移住(いぢう)して。代々(よゝ)青砥(あをと)を性(うぢ)とす。
藤綱(ふぢつな)が父(ちゝ)を青砥左衛門尉藤満(あをとさゑもんのぜうふぢみつ)といふ。しかるに藤満(ふぢみつ)子(こ)数多(あまた)にして藤綱(ふぢつな)
は其(その)末子(はつし)。ことに妾腹(せうふく)に生(うま)れたれば迚(とて)も頒(わかつ)【「頒」は「領」ヵ】べき程(ほど)の地(ち)も多(おほ)からざれば。