← 前のページ
ページ 279 / 491
次のページ →
翻刻
踏(ふみ)も習(なら)はぬ草鞋(わらじ)を着(は)き。小竹(をだけ)の笻(つえ)を力(ちから)にて。二階堂(にかいだう)に扶助(たすけ)られ。夜半(よは)
にまぎれて星月夜(ほしつきよ)。鎌倉山(かまくらやま)を越(こえ)給ふを。知る人/更(さら)に非(あらざ)れば。最明寺殿(さいめうじどの)こそ。
沈痾(おもきやまふ)かゝり給ひけれとも。最早(もはや)黄客(くわうかく)と成(なり)給ふとも。とり〴〵種々(さま〴〵)の雑説(ひやうばん)に。鎌(かま)
倉中(くらぢう)の士民(しみん)。首(かうへ)を疾(やま)しめ額(ひたい)を蹙(しばめ)て。自然(をのづから)薄氷(はくひやう)を踏(ふめ)る心地(こゝち)なりしが。
北条時宗(ほうてうときむね)いまだ弱冠(としわか)なりといへども。叡才(えいさい)怜悧(れいり)なれば。理非(りひ)分明(ふんめう)にして
その良(よろしき)に戻(もと)らず。殊(そのうへ)青砥藤綱(あをとふぢつな)これを補佐(ほさ)なすが故(ゆゑ)。人心(じんしん)漸(やうや)く治(をさま)り。
良(やゝ)安堵(あんと)の境(さかひ)にいたりける。其頃(そのころ)にあたつて伊豆(いつ)の御山(みやま)に。律師良賢(りつしれうけん)
といへる僧(ひじり)あり。其俗性(そのそくしやう)を尋(たづぬ)るに。先年(せんねん)滅亡(めつばう)せし三浦義村(みうらよしむら)が幼児(こ)清壽(せいじゆ)
丸(まる)と号(がう)せしが。義村兄弟討死(よしむらけうだいうちじに)のとき未(いま)だ四/才(さい)なりしを。義村(よしむら)が命(めい)によつて。
乳母子(めのとご)秦十郎(はだのじうろう)といへるもの。清壽丸(せいじゆまる)を母衣(ほろ)の内(うち)に隠(かく)し。千辛万苦(せんしんはんく)して
一方(いつはう)を切抜(きりぬけ)。鎌倉(かまくら)を落(おち)のび。東南西北(かなたこなた)に身(み)を忍(しの)び。終(つひ)に当山(たうさん)に潜(ひそ)み
居(ゐ)たりしが。其後(そのゝち)十郎も病死(びやうし)なし。孤独(ことく)の身(み)となりしを。別当(べつとう)の愛育(あいいく)