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互(たがひ)に後(おく)れて見えたるが。或夜(あるよ)何(なに)事にか驚(おどろ)きけん。富士河(ふしがは)に群集(むれゐ)たる。数千(すせん)の水鳥(みづとり)。
たてる羽音(はおと)の物凄(ものすさまじ)きに驚(おどろ)き周障(ふためき)【周章】。すはや夜討(ようち)を掛(かけ)たると。誰(たれ)か弓曳くものもなく。
一戦(いつせん)にも及(およ)ばゝこそ。大崩(おほくづれ)となりて我一(われいち)と。都をさして逃登(にげのぼ)る其折(そのをり)から。木曽義仲(きそよしなか)
北国(ほくこく)より起(おこ)りて。平家(へいけ)を倶利加羅谷(くりからたに)に追(おひ)おとし。続(つゞい)て都(みやこ)へ乱入(らんにう)せしかば。平家は
都(みやこ)に留(とゞま)りがたく。主上(しゆじやう)を守護(しゆご)して西国(さいこく)に下(くだ)り給ふ。爰(こゝ)に於(おゐ)て木曽義仲(きそよしなか)。朝日将(あさひしやう)
軍(ぐん)の宣下(せんけ)を蒙(かうふ)り。都の守護職(しゆごしよく)となりたるが。次第(しだい)に驕慢(けうまん)増長(ざうてうし)乱暴(らんばう)狼藉(らうせき)甚(はなはだ)し
く成(なり)り【「り」衍字ヵ】しかば。又義仲/追討(つひとう)を頼朝に命(めい)じ給ふ。于爰(こゝに)頼朝卿(よりともけう)の舎弟(しやてい)。九郎/義経(よしつね)。
奥州(おうしう)より押上(おしのほ)り。絶(たえ)て久しき頼朝に面会(めんくわひ)し。則(すなはち)頼朝の代官(たいくわん)として上洛(しやうらく)し。速(すみやか)に
義仲(よしなか)と宇治川(うぢがは)に戦(たゝか)ふ。義経の軍慮(ぐんりよ)励(はげし)ふして。終(つひ)に義仲を粟津(あわつ)が原(はら)に誅伐(ちうばつ)
し。続(つゞい)て平家の一類(いちるい)を。八島(やしま)壇(だん)の浦(うら)の浪間(なみま)に沈亡(ちんはう)【兦・亾】せしむ。時(とき)これ元暦(げんれき)二年
三月廿四日なり。天下初めて平治(へいち)なりしかば。此(この)恩賞(おんせう)として頼朝に。正二位(ぜうにゐ)右近衛大(こんゑのだい)
将(しやう)に。任(にん)し給ひ。征夷大将軍(せいゐたいしやうぐん)の院宣(いんせん)を給り。六十余州/総追捕使(さうつひふし)となし給ふ