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昼夜(ちうや)怠(おこた)りなく鑿鋸(さくきよ)【左ルビ「のみのこぎり」】の功(こう)を積(つみ)て。翌(よく)嘉禎(かてい)元年二月。御堂(みだう)成(じやう)
就(じゆ)なりしかば。大仏師法橋定朝(だいぶつしほつけやうでうてう)が。精神(せいしん)をこらせし明王(めうわう)の尊像(そんさう)を安置(あんち)し。
明王院大行寺(めうわういんだいきやうじ)と号(こう)せらる。同年六月廿九日/御堂供養(みだうくやう)を修(しゆ)せられ。
頼経卿(よりつねけう)も御参詣(ごさんけい)まし〳〵。供奉(ぐぶ)の大小名(だいせうめう)花美(くはび)をかざり。堂上堂下(どうしやうどうか)に
参列(さんれつ)す。衆僧(しゆさう)内陣(ないぢん)に列立(れつりう)して。鐘鼓(せうこ)の音(おと)諷経(ふぎん)の声(こゑ)。実(げに)も諸仏(しよぶつ)茲(こゝ)に
来降(らいかう)ましますかと疑(うたがは)れ。さながら極楽浄土(ごくらくじやうど)に至(いた)るかと惑(まど)ふ。これが法式(はふしき)を
拝(おがま)んとて。貴賤(きせん)老少(らうしやう)。ことに衣服(いふく)の美(び)を尽(つく)し。花奢(きやしや)を競(きそ)ふて群参(ぐんさん)し。流石(さすが)
に広(ひろ)き境内(けいだい)も。更(さら)に寸地(すんち)も見えざりける。折(をり)から北条(ほうでう)戒寿丸(かいじゆまる)従者(じゆしや)わづかに
五六人を率(そつし)て。忍(しの)びて参詣(さんけい)ありけるが。彼施行(かのせぎやう)にて御容貌(ごようはう)を知(し)り。その上
三鱗(みつうろこ)の定紋(でうもん)顕然(げんぜん)たるを見て。御家人(ごけにん)は更(さら)にもいはず。心なき雑人(ざうにん)迄(まで)も。
須破(すは)若君(わかぎみ)の御参(おまゐ)りよと。異口同音(いくどうおん)に云伝(いひつた)へ。誰(たれ)警蹕(けいひつ)はなさゞれども。自(みづ)から
身(み)を縮(ちゞ)め。脊(せ)を屈(くつ)し。左(さ)ばかりの群参(ぐんさん)の中(うち)。忽(たちまち)御堂(みだう)まで一筋(ひとすぢ)の道(みち)をひらく