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寛永(くはんゑい)三年の冬(ふゆ)の頃(ころ)より。執権武蔵守経時(しつけんむさしのかみつねとき)。はからざるに黄疸(わうたん)の病(やまひ)を
煩(わづら)ひ給ひ。始(はじめ)のほどは更(さら)に恐(おそ)れもあらざりしが。追々(をい〳〵)重病(じうびよう)となり。全身(ぜんしん)さながら
黄金(わうごん)の肌(はだ)の如(ごと)く。気色(きそく)喘急(ぜんきう)して苦悩(くのう)甚(jはなはだ)しく。御傍(おそば)に候(かう)ずる近仕(きんし)侍女(じじよ)。
面部(めんぶ)手足(てあし)衣体(ゑたい)まで。こと〴〵く黄色(わうしよく)を帯(をひ)て。中々(なか〳〵)御本(ごほん)■(ぶく)【復ヵ】の気色(けしき)更(さら)になし。
元来(もとより)医術(ゐじゆつ)種々(さま〴〵)にて。倉公華佗(さうこうくわだ)が秘術(ひじゆつ)を奉(たてまつ)れども。其功(そのかう)些少(すこし)も奏(そう)せず。
諸寺(しよじ)諸山(しよさん)の祈祷(きとう)奉幣(ほうへい)も。聊(いさゝか)奇験(きずい)あらずして。翌(よく)四年四月/一日(ついたち)三十三/才(さい)
にて卒去(そつきよ)せり爾之(これによつて)執権職(しつけんしよく)を。舎弟(じやてい)時頼(ときより)にぞ台命(たいめい)ある。時頼(ときより)さま〴〵
辞退(じたい)し給へども更(さら)に免(ゆる)し給はねば。終(つゐ)に補任(ほにん)し。五代の執権左近将監時頼(しつけんさこんのせうげんときより)
相続(さうぞく)して。頼嗣将軍(よりつぐせうぐん)を補佐(ほさ)なし給ふ。鎌倉(かまくら)の人民(じんみん)。前将軍(さきのぜうぐん)は御譲補(ごじやうほ)
まし〳〵。執権経時(しつけんつねとき)の卒去(そつきよ)を惜(おし)み奉(たてまつ)るといへども。兼(かね)て聡明(さうめい)の聞(きこ)えある。時(とき)
頼(より)執権(しつけん)と成(なり)給へば。始(はじめ)て天日(てんじつ)を仰(あほ)くがごとく。上下(じやうけ)万民(ばんみん)挙(こぞつ)ては万歳(ばん〳〵ぜい)をぞ
唱(とな)へける。于爰(こゝに)計(はか)らざる珍事(ちんじ)こそ出来(いできた)れれ。其所以(そのゆへ)は故武蔵守泰時(こむさしのかみやすとき)の