翻刻
【右丁】
/中肉中(ちうにくちう)ぜいの/美味(うま)そうなとりなり、よく〳〵/見(み)ればまだ廿八九のこのもき/年(とし)ばい
/惜(おし)いものを/在郷嚊(ざいごうかゝ)にしてつゞれをまとはし/麦搗臼挽(むぎつきうすひき)のくたびれ/業(わざ)いかに/田(い)
/舎者(なかもの)とて/此(この)五十あまりのよぼくれ/男(をとこ)をまもり/居(ゐ)る/律義(りちぎ)さがふびんなと
/心(こころ)にしきりに/哀(あはれ)を催(もよほ)すも/大(おゝき)に/御世話(おせわ)な/事(こと)なるべし、/此方(こつち)で/思(おも)ふ/心(こゝろ)は/知(し)ら
す/亭主(ていしゆ)も/嚊(かゝ)も/心切(しんせつ)に/芋団子(いもだんご)のもてなし/彼是(かれこれ)する/内日(うちひ)も/暮(くれ)て/内(うち)に
/居(ゐ)ながら/見晴(みは)らす/野原(のはら)、/実(げ)に/武蔵野(むさしの)のはてなきに/月(つき)はなやかにさし
のぼりたる/景色(けしき)はいふにいはれず/我(われ)をわすれて/詠入(ながめいり)また/鄙(ひな)びたる此/(この)やどり
なと/思(おも)ひあわせて/心(こゝろ)に/風流(ふうりう)を/催(もよほ)し/懐中硯取出(くわいちうすゞりとりいだ)し/歌詠文(うたよみぶん)をつくりて〔月ノ三〕
【左丁】
/楽(たの)しみ/歌(うた)など/詠上(よみあげ)てきかすれど/誠(まこと)に/馬(うま)の/耳(みゝ)に/風一向受(かぜいつかううけ)ざれば/暫時世事(しばしせじ)
/咄(はな)しに/時(とき)うつる/頃一人(ころひとり)の/男門口(をとこかどぐち)から/大(おゝ)きな/声(こゑ)で「/庄屋様(しやうやさま)で/例(れい)の/月見(つきみ)の/酒盛(さかもり)
がもうはじまるほどに/爰(こゝ)な/亭主(ごてい)にはや/来(き)なされとの/呼使(よびづか)ひ「アゝ/今(こ)
/夜(よひ)は/珍客(ちんきやく)があれど/例年(れいねん)の/事(こつ)ちやゆかざなるまい、/今聞(いまきか)しやる/通(とほり)ぢや
からわしはいぎますこな/様(さま)にはゆるりット/今夜(こよひ)は/爰(こゝ)でやすましやれどうで
おれは/夜明(よあかし)じやあろうから、/嚊(かゝ)お/客(きやく)さまにもつとなんぞ/御馳走(ごちそう)せいトさし
むかひにして/何(なに)の/気遣(きづか)ひげもなく/出(で)て/行(ゆく)とはなんぼ/田舎(いなか)の/律義(りちぎ)まつ
ぽうおのれが/心(こゝろ)にひきべつするともあんまりなぶ/用心(ようじん)しかし、/此方(こつち)は/得手(ゑて)に/帆(ほ)