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とらしむ也十二の手縄みたれぬやうに扱ひ水上にうかひたる鵜を引
あげ魚を吐せ又水に入るいとふいそかはしく見ゆる所作也云〻
やつかれふと思へらく是をみて目を悦はしむるこそうたてお
もふ心地すれ仏の教五戒を保つに殺生を?第一にいましめ玉ふ
されは甲州山梨郡生津川の漁父か霊魂日蓮に逢て云殺
生の罪によりて地獄に落て苦患を受る事久し罪障を懺
悔し回向を願はん為来れりとて告ぬ上人法華経の要文を石
に書写し彼川にしづめ生津に鵜飼山遠妙寺を建立せらる
稲葉山《割書:厚見郡岐阜山也尾州清洲ノ城主居城を稲葉山に築く是時より岐阜といふ|》
古今集離別の巻頭在原行平朝臣〽立わかれいなはの山の峰に生ふる
松としきかは今かへりこむ俗説に此歌は行平卿須磨の浦に流され玉ひ
松風村雨といふ姉妹の蜑乙女と契り其後勅免帰洛の時二人の海士の
為によめるといふ配流の事は古今巻十八源氏須磨の巻等に見えたり
松風村雨か事はいつれにも不見行平家集此歌の詞書に因幡寺
なりしか任はてゝ都に登りけるに思ふ人によみ遣はすと有されは北村
季吟か百人一首の拾穂抄に云因幡山《割書:因幡国|》稲葉山《割書:美濃国|》両説
あり御抄ニ云因幡国可然也定家卿勘物に云斉衡二年正月
四位因幡守云〻此歌を本歌にして後代美のゝ稲葉山を読たる
例多しといへり或人曰八雲御抄範兼抄に美濃と有清輔卿の抄ニは
因州云〻拾遺愚草に〽昨日かも秋の田の面に露置しいなはの山も
松のしらゆき続拾遺集雑〽かひなしやいなはの山の松とても又かへり
こんむかしならねは此外世〻の撰集に載る処数をしらす岐阜は
【右頁書込み】
《割書:日蓮は|後堀川院》
《割書:貞応元年|二月十六日於》
《割書:房州生ル|生津川(ナマツカハ)一説》
《割書:生沢川(キサハカハ)又いく|さわ川ニても有》
《割書:へし可考|乗邨按ニ》
《割書: 生沢(イサハ)川也今| 甲州に生沢(イサハ)と云》
《割書: 処ニ御陣ヤあり| といふ今も鵜》
《割書: を遣ふと也|》
《割書:清州城主は|織田》
《割書:内大臣平|信長公也》
【左頁書込み】
《割書:続拾遺歌は|為氏卿歌也》