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翻刻
美濃上品庭訓往来に美濃の上品尾張八丈なと書り或人云是は布也
みのゝ国芥河といふ所より内裡へ参る布主上おはします欄干の
幕布九尋有といへり九布進(クフシン)といふ物かたりに委云〻可尋之
垂井《割書:不破郡古書足井とかけり|》南宮鳥居の辺に潔き水あり詞花
集に藤原隆経〽むかし見し足井の水はかはらねと移れる影そ
年を経にけり 二条関白良基公の小島のすさみに此歌は隆経
美濃の国司に下りてよめる云〻北側に頓宮(カリミヤ)の跡あり小嶋のす
さひに云後光厳院文和二年八月小嶋より垂井の頓宮へ皇
居を移したる時九月十日の比大風吹て垂井の頓宮より民安寺
へしはらくの内みゆきの事を截玉へり
小嶋《割書:池田郡|》後光厳院文和二年行幸小嶋のすさみといへる書は二條
関白良基公文和の比美濃路参らせ給ふ道の記とかや彼に〽横雲
のなみこす峰もほの〳〵とやがて小島の陰そ明ゆく〽思ひきや思
ひもよらぬかりねかな稲葉の月を庭にみんとは藤川記に〽あし垣
のまちかき跡を尋ても小島の里にみゆきやはせぬ
民安寺《割書:不破郡|》或人曰垂井の北に旧跡あり此道を土人呼て行幸
道といふ云〻藤川記云文和の比後光厳院南軍におそはれま
し〳〵て小嶋へ行幸ありしつゐでに垂井民安寺にもわたらせ
給ひけるとなんかり宮の礎なと今にあり其時植させ給へる松
の老木となるを見侍りて〽世におもふ君かみかけにたくふらし
民安かれと植し若まつ
谷汲千載和歌集釈教の部に大僧正覚應三十三所の観音
【右頁書込み】
《割書:此芥川|といふ所》
《割書:尋へし|》
《割書:因ニ云|勢州鈴鹿郡鈴鹿山》
《割書:片山神社は|延喜式内也》
《割書:其所ニ頓宮|殿アリ是》
《割書:清見原親|王ノ古跡殿》
《割書:ナリ然ハ天|皇ノ御寝》
《割書:殿ヲ頓宮|ト云カ行宮》
《割書:ハ今ノカリヤノ|如キモノニヤ》
《割書:是ヲカリミヤトモ|ヨメルハ》
《割書:能叶ヘリ|》