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拝み奉らんとて所〻参り侍りける時みのゝ谷汲にて油の出るをみて
読侍りける〽世を照す仏のしるし有けれはまた灯もきえぬ也けり
赤坂 柴足考 夫木集〽外山なる花はさなから赤坂の名をあらはして咲つゝし《割書:哉|為相》
或云秋の寝覚といへる書に入つゝし紅葉玉篠月など読る云〻
藤川記に〽たゝかひの昔のにはもに はとう(本ノまゝ)の赤坂越て思ひ出つゝ
杭瀬川不破安八二郡の境赤坂の東に流るゝ川也昔は赤坂村の辺
より赤坂東の川へ流るといへり藤川の記に杭瀬川といふ所を舟ニて
渡りて〽わたし守ゆきゝに守る杭瀬川月の兔もよるやまつらん
美江寺観音本樔郡美江寺の宿の観音也或人曰後永禄の
頃より岐阜に安置す云〻藤川記に〽頼まふな仏は人二美江寺の
とばりを垂れぬ誓おもへは
笠縫の里 《割書:安八郡|》十六夜日記に云関よりかきくらしつる雨しくれに
過て降くらせは道もいとあしくて心の外に笠縫のむまやといふ所に
とゞまる〽旅人の蓑打はらふ夕暮の雨に宿かる笠縫の里
青野か原《割書:不破郡|》為尹歌〽伊吹山さしも待(本ノまゝ)へる郭公青野か原をやすく
過ぬる藤川記〽分行は四方の草木の色も猶青野か原に夏
の一ころ(本ノまゝ)俗に伝ふむかし熊坂の長範といふ盗賊此辺を徘佪せ
しと長範か物見の松とて今もあり或曰物見の松は本名シデ
懸の松といふよし則古歌もあり是かの南宮に詣る人幣かけ
て通る故名とす
三津屋《割書:安八郡俗三津屋の北方と云|》或曰土御門宮内卿天和の頃北方慈渓
寺密雲和尚へ立寄て〽契あれは爰もみつ屋の月影に忍《割書:とも| なき》
《割書:昔わたりは|》
【右頁書込み】
《割書:赤坂は|不破》
《割書:池田両郡に|かゝる処也》
【左頁書込み】
《割書:いさよひのにきは永仁六年阿仏鎌倉迄の道の記也阿仏始は安嘉門院四条と云後に定家の息為家卿の室と也|為世卿》
《割書:を産り|戸田侯領》
《割書:赤坂筋也|》