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森七左衛門《割書:加納|住人》永孝仮字序有て跋は洛の不遠済長隣書る也
篠塚の里《割書:いにしへしぬつかの宿といふ駅の跡也今は笹塚といふ|篠文字の訛也》
多藝郡田跡山の下に篠塚といふ里ありいにしへ石津郡
當藝の庄内也今は多藝郡といふ里の名もかはりて高田と云
新六帖に逍遥院〽神もさそふりくる雨はしの塚の駅の鈴の
小夜深き声周礼曰囯野の路十里に一廬【庐】あり廬【庐】に飲食あり
三十里に宿あり宿に駅亭有とそ馬に鈴をつくるを駅路
の鈴といふむかし毎年貢物を馬にて運ひ蔵め奉る時又は
公卿国〻の任有て守護に下り給ふ時此鈴を付たる馬は夜
も関の戸を明て通しけると也日本記孝徳天皇御宇大化二
年に関宿を定め駅馬伝馬に鈴の契(シルシ)を付る事あり又続日本
記及ひ延喜式江家次第令義解等には粗見えたり
土岐のおどろといふ言田跡山の奥に時の里あり此里人のいふ言葉
大にいにしへぶりに叶へり恐しといふをおとろしといへり俊成卿の歌に
〽春日野のおとろの下のうもれ水末たに神のしるしあらはせ宗
長聞書に云 棘路(オトロ)とは公卿の事也とありしかれはおとろしとは歴
かたき路をいふと見えたりかく辺土には古風のおさ〳〵残有ものそかし
東三野の古語木曽の御坂の此方に落合といふ宿ありそこの土人
柴を負ふて焚物(タクモノ)めせといふて売歩行也隣国なから信濃
の国は焚(タキ)物といへり西美濃も所〻たき物といふ人有てにをは
とゝのはすたきものは香(タキモノ)の事にまきらはし柴はたくものといふ
へく伽羅はたきものといひたきもの也
【右頁書込み】
《割書:按に|高田より北|橋詰村と云|里あり蓑|を作りて|業ひとす|其里に篠|墳大明神|といふ社有|彼百しぬの|みのといふ|枕詞もかゝる|所より|起れるにや》
【左頁書込み】
《割書:清女【清少納言】か曰|かきくらし|雨ふりて|神もおとろ|〳〵しう|なりけれはと|あり是らを|おもへはいと|古きより|ありとみゆ》