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作町人百姓の家屋敷こそ大分にて侍れ仏者の堂寺は多し
といへ共間〻の物にて侍るに仏者のみ山林を尽すとは心得
かたく侍り社家云貴殿は武士なれは定て様?〻?の具足なと
鉄砲にて打給へし一銭ためしに薬一銭入て通らぬに二分
かさめは通る物にて侍り鹿鳥をも打て見給へ二分のかさみ
にては玉の飛強み格別成へし今天下の在家の多きは
元より日本に生付て有へき物なれば数より外の物ならす夫
たになす事なくして食する物多きは国の衰微成に仏
者はなす事なくして食するのみならす日本の国を五十も百
も合せたる程なる大国にて山林限りもなき土地にて作り
出したる堂塔伽藍を其侭にて日本の小国に移ししかも
数沢山に建ならへ跡から修理建立絶間なくする事なれは治世
五六十年共有ては其間には天下の衰微して天災地夭も至し
て不叶事也今人家に十人を養ふ者あらむ衣服飲食も
十人の数にやころにあてかひ置れんに臨時に二人をかさみて
其家に養はせは其家内の者皆かしけて衣服飲食不
足ならむ三人をかさまは其家程なくやふれなんたとへかさま
すして十人のみ成とも其内一人成共衣服飲食奢たる者
あり百石取の家へ千石取の子を養ひたるやうならばその
家三年共立へからす貴殿は武士なれは軍法知給はむ上兵
は敵を以敵を打也今南蛮天竺の仏者は日本を以て
日本を打也衰乱の費にのりては切支丹かむくりかに終に