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狼狽廻るへしと思はるゝ也
一耶蘇宗門の禁は寛永以後別して厳禁候而
百姓町人も寺證文と云事有武家ニ而も同様ニ而
吉利支丹證文とて年々組支配江印紙を
差出す事定例と也街市にも吉利支丹の
訴人あらハ 上ゟ御褒美下さるへき由記し
有は人々しる事也邪宗門禁せられしは
何故そと云に彼の宗門ニて其宗旨の為に
死れは直ニ天堂江生るゝとの教なれハ死を
懼れす君父をも顧す一圖に宗門を尊信
する法故に既寛永には天草の一乱をも
生せし也當今西洋の法術を信する者若
其節を論破するものあれは真ニ激怒して
父兄朋友の差別なく其不平の思ひを
なし終には我祖宗以来国恩ニ浴し妻子
眷属を撫育せし廣太の御仁徳を忘れ
皇国の制度を誹謗し日本小国故規模
狭小にして西洋大国の体を知りぬ也と
漫りに教言する輩有全く
御禁制の邪宗門ニ引入られたる也凡て
物は好む所より入易きもの也日本曻
平にて上下奢侈安逸ニ耽りたまに
才力有も皆奸智姦才にして天命を
知す己か身力を尽さす懐手をして事を