翻刻
しを秋八月二十五日夜四つ時ゟ暁七つ時まての大風に
本牧の陣屋あまた建並へたるか一棟も残らすたふれ
潰れ八王子の山鼻二つ吹とはし牛込浦横二十間計
長さ百二十間はかりの浜建家ともになくなれり
又其夜強雨ふれりと思ひしは一ノ谷より三ノ谷まての
高岸大浪打越て三町計り隔たれる陣屋にうち
こめる也けり海面火の玉飛行せりとのみ見しを
後おもへはうしほの飛散し也けり如斯てやう〳〵
風をさまれる暁ころ江戸鎌倉の方にあたりて
大に火の手見ゆ此時為泰は病床にありしを人に
助けられてたふれかゝりし陣屋をからうしてのかれ出て
山にのほらんとする時三度まて吹たをされぬやう〳〵
這のほりて木かやに取つき居てあはれ風の為に命せ
ん事本意なしと心中に杵築大神守らせ給へと
いのる外なかりしにみな人も十死を極めしと見へて
或は南無阿弥陀仏或は南無妙法蓮華経なと
はゝかる所もなく大声あけて唱ふる事かしましき
はかりなりき此外声立さるも各おのか向々信心の
神仏いのれりとは見ゆれともそは耳に聞さりけり
扨夜明て見るに陣地建物吹飛し踏所もなかりけり