翻刻
扨此法事にあはんとて夕つ方出雲郡神立村なる
柳楽庄右衛門来りて六日の地震に土蔵の片塀落て
冨村の荒神松ほつえ北になひきて生たるか南になひ
きて深くしつめりといふ又田の底より鉄砂塩気なと
吹出してあれたる事官三郎の書状に書るかことしまた
日暮て後飯石郡三刀屋なる川津源兵衛きたりて
今朝支度して出へしと思ふ時地震大きにふるひて
家内とも出る事なかれととゝめけるほとに一度見合たり
しかと今日参らすてかなはさる事故遅く宿出候
程に夜にいれり六日以後今日まて一日もなゐふらさる
日なしとそいへる又神門郡大津なる葛西益兵衛も
宿遅出たりとて夜に入て来りて地震のはなし
せるか大かた源兵衛かいへるに違ふ事なし
二十日学業の為に巡国せる陸奥国弘前の士族佐々木
貞輔清方来れり是はをとつ日来りし時に哥人かと
問しに儒学にて高名家尋廻れるものなから松江にて
其名しられさるほとに来れりといふさらは今日は法事せる
ほとに今日明日の所にて挑文の師内村友輔永泉寺天鱗
なと問行へしとて名前住所書等調へ聞かゝせてあたへ
けれは一日為泰か物語も聞まほしと望めれは二十日来よと