翻刻
高名なるは。肥前(ひぜん)大村(おほむら)の吉岡(よし▢▢)英伯(えいはく)。長余(ながよ)春達(しゆんたつ)。筑前(ちくせん)秋月(あきづき)
の緒方(をかた)春朔(しんさく)。武州(ぶしう)忍(をし)の河津(かはづ)隆碩(りうせき)。江戸近村 木下川(きねかわ)の荘(せう)
屋(や)治郎兵衛(ぢろうひやうゑ)なり。各毎年種痘する事五六百人に至(いた)る
と云ふ。我か常陸にて早く気(き)の付たるは。家厳(かげん)研堂(けんだう)君(くん)
なり先年 不肖(ふせう)か西遊(せいゆう)するに臨(のそみ)て。教て曰 逆痘(ぎやくとう)に救法
なし。九州の地方に種痘の術ありと聞く。必す逆痘を
免(まぬか)るゝの良法なるべし。第一に此術を学ふべしと。謹(つゝしん)
て慈教(じけう)を奉(ほう)し。長崎(ながさき)に滞留(とうりう)の時。西洋医(おらんだいし)悉以勃児都(しいぼると)の種
痘を学(まな)び。又 本邦名流の種痘家に就(つい)て。其術を研究(けんきう)
せり。其法第一に小児の強弱(けうじやく)【左ルビ「つよきよはき」】を察(さつ)し。気候(きかう)の祥凶(せうけう)【左ルビ「よしあし」】を審(つまびらか)
にし。好苗(よきたね)を撰(えら)び種(うゑ)て後は。痘瘡になりたる心得にて。
飲食(いんしい)起居(ききよ)を謹み。消毒(せうどく)の薬を服する故。予(あらかじ)め必す軽痘
なる事を知り。種て後六七日に至り。微(すこし)く熱を催(もよう)せ共。
夜のみ出てゝ。昼(ひる)は遊嬉(ゆうき)【左ルビ「こどもあそひ」】に紛(まきる)る程の事にて。臥床(とりふす)者は
稀なり。見点(はうそう)も尖円(まるく)紅活(くれない)にして。至極の吉痘(きつとう)を発(はつ)す。数(かづ)
は惣身に十四五 粒(りう)出(いつ)るを常とす。少き者は僅(わづか)に五六
粒。多きものも五六十粒に過(すぎ)す。貫膿(うみ)易く。収靨(かせ)易く。数
日にして全快(ぜんくはい)し。感冒(ひきかせ)よりも軽し。自家の児女。及び親
族朋友の小児に施し。敷(しい)て遠近(えんきん)に及び。是迄に種痘す
る事六百人に至れ共。死せし者は勿論。痘痕(あばた)の附(つき)たる