翻刻
娘 幸(さいわひ)にたへぬ思ひを文にしたゝめ人していわせけ
けれどそのふしは五平次にふかく互(たがひ)に情(なさけ)だちし砌(みぎり)
なりけれはおさ〳〵返事もなく伝蔵は恋(こひ)わびて
さらに外(ほかの)心(こゝろ)もなく迷(まよ)ひ果(はて)なんを人づてならて一 言(ごん)
の返しをだにと度々(たび〳〵)いひおこせけれはお幸(さい)もさす
がにあはれと思ひていとうきたる事とぞんし取りて
御かへしも申さで今 更(さら)はづかしふ候へ共わが身事
五平次殿にふかく思はれ候へはいか程にふかふ思召被下
ても人の手前 不義(ふぎ)の悪名(あくみやう)わが身はともかくもそ
れさまの御 為(ため)いかゞに候まゝ思召 止(とま)り候へは 彼(か)の人は
妻(さい)もあり外(ほか)に思ひものあまた候へはさのみ行末(ゆくすへ)のとげ
なんとも思はれず若(もし)真実(しんじつ)の御心ざしもましまさば
その時(とき)ぞともかくも御心にまかせさふらはんといと情(なさけ)
ふかくいひ送(おく)りけれは伝蔵は露(つゆ)のかことも彼(か)の人の
方よりとあるはうれしく披(ひら)き見ていとゞ思ひにこがれ
ぬれど此返しことはりにも又あわれなれはもとより実(じつ)
体(てい)なるうまれゆへさのみうらみとも思はずことはりに
くれて其の後は文してもいはず心うつくしく折々 問(とひ)
来(き)てもさのみうとみたる風情(ふせい)にもならて人目のひま
ある時はよそながら情(なさけ)ばみていとあはれにて年月(ねんげつ)を