翻刻
申そのうへあのものは近郷(きんごう)にかくれなき強力(ごうりき)
もの此 往還(わうくはん)にかくれなく殊(こと)に行力も人々しら
れて物しらゆへかれが心にさかひては後日の仇(あた)と
ならんもおそろしく心ならず無礼(ぶれい)いゝかたる事
御ゆるし下されかしと手をすりて侘(わび)るにぞさの
へもん打うなづき何(なに)か汝を咎(とが)めん少しも氣づかふ
ことなかれ御 領分(りやうぶん)のものとあればわれは心安し
夢々(ゆめ〳〵)心を置(おく)事なかれと安き言葉(ことば)に馬子(まご)もこゝろ
うちとけて行ほとに城外(ぢやうぐはい)にて馬より下り馬子は帰
し我家(わがや)へ帰れは亥刻(よつ)をしらするにぞ食事(しよくじ)など
したゝえてさのへもんはけふの草臥(くたびれ)やすめんと寝や
に入る家内(かない)のものもしつまり夜(よ)も更(ふけ)けるに物 音(おと)か
まびすくするに夢(ゆめ)さめて見れはともし火かすかに
消(きへ)なんとするを起(をき)てかゝげんとするに何やらんかげの
ことくならんものありすかし見れは人なりあやしみ
なからともし火かゝげ見れは昼手(ひるて)に懸(かけ)し山伏の
さもおそろしきさましてさの右衛門をはたとにらみ
立り大かたの人ならば恐れわなゝくべけれとも少も
おそれず妻(さい)子の目さめて見ばおそれん事を思ひて
我が夜のものを屏風(びやうぶ)の外(ほか)へ引出し妻子の寝たる