翻刻
はなしに賎(しづ)の手業(てわさ)さへかしこかりけれは聞(きゝ)つたへ
見 初(そめ)てしたはぬものもなかりし中(なか)に五平次といへる
者(もの)此 娘(むすめ)に思ひなづみ人して送(おく)れる文(ふみ)は千束(ちつか)にも
余(あま)りけれどたゞ貧(まづ)しき身(み)の安否(あんひ)父母(ふほ)の孝養(こうやう)
こそ忘(わす)るゝ間(ま)なく思ひつゞられうかれよりなんころ
はあらずとのみいひてつれなくのみもてなしけれはあ
るにもあられずせめては近々(ちか〴〵)顔(かほ)を見もしそれなら
は少し思ひのはれんやと恋路(こひじ)のならひひたすらに
あこがれて便(たより)もとめて此 家(いゑ)へ入来(いりきたり)て何(なに)かとしたしみ
なれむつひけれは浪人(らうにん)夫婦(ふうふ)もいとうちとけてもて
なしけるにぞ五平次一日も入(いり)来(こ)ぬ日もなく兼(かね)て貧(まづ)
しきを察(さつ)して或(ある)時(とき)俵物(ひやうもの)など送(おくり)り或(あるひ)は金子(きんす)なども
つゝみながら袖(そで)へ入て世(よ)に出(いで)給はゞ返(かへ)して給へなどいふ
に請(うけ)まじき人にもの受(うく)るも本意(ほんゐ)ならねどけふの
いとなみにうへて死(し)なんはさすがにて駑馬(どば)におとり
し境界(きやうがい)も皆(みな)貧(まつ)しきのなさしむる業(わざ)とあきらめ
いたゞきておさめぬ五平次が佞奸(ねいかん)のなす所にてうへ
には真(まこと)ある体(てい)を見せ此 娘(むすめ)を我手(わがて)にいれん恋(こい)の術(てだて)
とは後(のち)にぞ思ひしられける娘も初(はじめ)の程(ほど)こそあれかく
父母(ちゝはゝ)へ恵(めぐみ)を請(うけ)絶(たへ)ず訪(とむ)らひ来(く)るも皆(みな)われをしたふ