翻刻
こそはふけて【?】なれ外にはさのいかなしきこともなくて
幾之介 芸能(げいのう)何によらずかい〳〵く美童(びとう)の誉(ほま)れ
国主の聞に達(たつ)し十三才の頃 新知(しんち)三百石にて召出
され他に異(こと)なる寵愛(てうあい)にて一国おもくもてなし
ける然るに古郷宇根右衛門方より風の音信(をとづれ)もなき
をあやしみながらこらの愁(うれい)何かに取まぎれ一とせ
余(あま)りも過しに夢の便(たより)りもなし幾之介母思ふは人の
心の頼なく世になきものと思ひすてけるならんと或(あるひ)は
恨みまたはかこちなからもさすがに古郷なつかしくて便
につけて絶(たへ)ず古郷を忍ぶさま又夫の不幸など
細々(こま〳〵)と書認(かきしたゝめ)送(をく)り遣しけれど片便(かたたより)なれば返(かへ)しも
見ずなりぬ三とせ斗有て故郷(こきやう)にて召仕(めしつか)ひしものゝ
一 族(ぞく)の中に出家(しゆつけ)有けるが尋来(たづねき)てしか〳〵と案(あん)内し
けれは絶(たへ)々と久しき古郷の便りうれしさに何事も
忍(しの)びあじぇず奥へ通し対面(たいめん)す此 僧(そう)何某(なにがし)が弟(をとゝ)にて
と身の由緒(ゆいしよ)明(あき)らかに申せは母(はゝ)も心 置(をき)なく打とけて
宇根右衛門の無音(ぶゐん)を恨(うらみ)がちに語(かた)れは僧 答(こたへ)てその御
方こそ御夫婦共打 続(つゞき)死去(しきよし)給ひ雅(をさな)き人々は孤(みなしご)と
成(なり)給ひ女子(によし)は竜野(たつの)の伯母(をば)君(ぎみ)の方へ引取給ひぬ
其後はいかゞ成行給ひしやらんしらずと語(かた)りぬ