翻刻
一 度(ど)立 返(かへ)しなんと言(いひ)一 度(ど)は叶(かな)ひがたしと両舌(りやうぜつ)を
以て人をたぶらかす不実(ふじつ)の仕方(しかた)かんにん成(なり)がたし
と覚悟(かくご)極(きは)め罷帰(まかりかへ)り此旨(このむね)其(その)役人(やくにん)たる者(もの)へ訴(うつたへ)へ出(いで)
なば彼(か)の士(さむらひ)の非道(ひどう)露顕(ろけん)して取返さんはいと
やすかるべきに若気(わかぎ)の至(いた)り行(ゆき)つまりたる胸中(けうちう)
の恨(うら)み晴(はる)るゝ所なく資財(かざい)道具(どうく)をしるべへ預け
其節 娘(むすめ)は三 歳(さい)に成りしをいだかせ妻子(さいし)をは隣(りん)
国(こく)に断金(だんきん)の友(とも)あり其者(そのもの)方(かた)へしのばせ置(おき)其日
の内 諸事(しよじ)片付(かたつけ)かの侍(さむらひ)の登城(とじやう)の帰(かへ)りを待(まち)うけ
一方は関(せき)の堤(つゝみ)一方は山の差出(さしで)たる難所(なんしよ)にて名(な)
乗(のり)かけて首尾(しゆび)よく討留(うちとめ)帯(たい)せし刀(かたな)をとりて手前(てまへ)
の刀を死骸(しがひ)にさゝせ壱弐丁 走(はしり)り来(きた)りしに此 代金(だいきん)
弐十両 返弁(へんべん)せずして立(たち)退(しりぞか)は奪(うば)ひ取らんため殺(せつ)
害(がい)せしと風聞(ふうぶん)あらばかへつて盗賊(とうぞく)の名(な)もや立(たゝ)んと
思惟(しゆい)して懐中(くわいちいう)より金子弐十両出し紙(かみ)に包(つゝ)み子細(しさい)
委敷(くわしく)認(したむ)るに間(ま)もなけれは矢立(やたて)取出し盗(ぬすみ)取(と)られし
刀此者二十両に買(かい)求(もとめ)候故代金差出し取返さんと
申を難渋(なんしう)いたし候故 無是非(ぜひなく)討捨(うちすて)刀(かたな)取返(とりかへ)し代金 死(し)
骸(がい)に付置(つけおく)者也(ものなり)と口上書 差添(さしそへ)死骸(しがい)へ押入(おしいれ)それより
りんごくへ立越(たちこへ)へ朋友(ほうゆう)の介抱(かいほう)に成(なり)て廿日 余(あま)り居(い)