翻刻
青海原津浪軍記
天なる哉命なる哉([か]な)頃(ころ)は安政三辰 ̄ノ八月廿五日 青海原(あをうなばら)の住(じう)にん
龍巻津浪(たつまきつなみ)の助 寄高(よせたか)と云者 乱入(らんにう)して人民(じんみん)をおどろかせし
其 根元(こんげん)を尋(たづ[ぬ])るに去 ̄ル卯 ̄ノ十月おのれが剛力(がうりき)慢心(まんしん)より起(おこ)り多
の家蔵 堂社(どうしや)をおびやかせし鯰(なまづ)の判官(はんかん)揺高(ゆりたか)が一子 小揺(こゆり)の
冠者(かんじや)髭長(ひげなが)父(ちゝ)の逆意(きやくい)一 時(し)に亡(ほろ)び剰(あまつさへ)蒲焼(かばやき)が原におゐて八ッ
ざきの上火あぶりの刑(けい)に行(おこなは)れ余類(よるい)の小鯰ども迄擒(とりこ)と□□【相成ヵ】
いまた所々の蒲焼屋敷において水 牢(らう)の内にぬら〳〵となけき
暮(くら)すよしもれ聞(きこへ)髭長(ひげなが)つく〳〵考(かんかえ)見るに父(ちゝ)揺高(ゆりたか)が企(くはだて)事成ら
ざるうへ余類(よるい)の者迄かく身心(しんしん)を苦(くる)しむる事見るに忍(しの)びす何卒
是をすくひ出し折よくば父の存(ぞん)意も達(たつ)せんと思へども我 ̄レ若輩(じやくはい)
の身其上はか〴〵しき味方の者も非(あら)ざれば爰(こゝ)に津浪の助の
【左丁】
執権(しつけん)荒浪(あらなみ)大之進が娘我が妻たるこそ幸ひなれひそかに荒浪を
頼(たのみ)津浪之助に此ことを計(はか)る津浪之助いふやう我天地風雲の間
を一統(いつとう)して龍宮城へ直勤(ぢききん)のものなれば人民の苦(くる)しむ一揆(いつき)同前の
者共には組しがたし然りといへ共 亡父(ばうふ)の跡(あと)をしたひ臣下のくるし
みを歎(なげ)く志(こゝろざし)を憐(あはれ)み我手勢をかし遣さん急(いそ)ぎげき文を
廻すべしと下知ありけるこそぜひなけれ扨其 詞(ことば)に随(したが)ひはせ
集(あつま)る面々には冨士の早ての守風成伊奈佐南之 進(しん)沖(おき)寄
つむじ巻太郎鎌足浅間左右ヱ門 寒風(さむかせ)秋雨 降(ふり)蔵辻風早
太郎雨野長左ヱ門秋村しばしおくれて馳(はせ)来る若大将には雷
五郎左ヱ門が一ッ子五郎丸其外一騎当千の兵(つわもの)雲霞(うんか)の如くはせ
集(あつま)る軍議終り兼て夜打と相定む扨其時日を考(かんがふ)るに
八朔二百十日は何国もゆだんなき折なれば其日は平和に差