翻刻
【右頁】
字(じ)も病(やまひ)は三種(さんしゆ)にて一字(いちじ)を用(もちゆ)るは誤(あやまり)なれども俗習(ならはせ)なれば今(いま)に至(いたつ)て改(あらたむ)べきやうなし
すべて物(もの)ありて後(のち)に文字(もんじ)を作(つくれ)ば傅染(でんせん)四病(しびやう)の如(ごと)きいにしへなき病(やまひ)は豆(まめ)に似(に)たる
故(ゆゑ)に痘(とう)の字(じ)を作(つく)り麻子(あさのみ)の如(ごと)くすきもなく出(いづ)れば麻疹(ましん)といひ後(のち)に疒(やまひかむり)を加(くわへ)
て痲(ま)の字(じ)を作(つくり)人(ひと)の身(み)に侵入(しみいり)てぬけがたきこと物(もの)の黴(かびる)に似(に)たれば黴瘡(ばいさう)といふ如(ごと)く
疥瘡(かいさう)も其(その)始(はじめ)別(べつ)に名(な)のあるべきなれども疥癩(かいらい)の病(やまひ)と紛(まぎれ)やすき病證(びやうしやう)なる故(ゆゑ)に誤(あやまり)
て疥(かい)の字(じ)と其(その)まゝに用來(もちひきたり)しなり是皆(これみな)夷狄(いてき)の陰陽(いんやう)常(つね)なくみだれて惡毒(あくどく)
薫蒸(くんしよう)する土地(とち)に起(おこり)し病(やまひ)を傳來(つたへきたり)しなりよしや唐山(もろこし)にはいにしへより疥瘡(ひぜんがさ)あり
といふとも我(わが)
日本(につほん)のいにしへはなき病(やまひ)なり其故(そのゆゑ)いかんとなれば天暦(てんりやく)の比(ころ)源(みなもと)の順(したがふ)が著(あらはし)たる和名(わみやう)
抄(せう)に疥癩(かいらい)二字(にじ)にてハタケと訓(くん)じたり是則(これすなはち)古(いにしへ)の書(しよ)にある疥(かい)の字(じ)は今(いま)の疥瘡(ひぜんがさ)
【左頁】
にあらざる證據(しやうこ)なり今(いま)の疥瘡(かいさう)はすべて肥前瘡(ひせんがさ)といふ肥前(ひぜん)の國(くに)にては小瘡(せうさう)
といふ其國(そのくに)の名(な)を諱(いむ)なり是則(これすなはち)前(まへ)にいふ如(ごと)く其(その)土地(とち)の名(な)によつて虜瘡(りよさう)といひ
スパンスポツクといひ廣東瘡(かんとうさう)といひ唐瘡(とうさう)といふ類(たぐひ)にて最初(さいしよ)肥前(ひぜん)に傳來(つたへき)て
起(おこり)しゆゑに肥前瘡(ひぜんがさ)とは名附(なづけ)しなり肥前肥後(ひぜんひご)いにしへは一國(いつこく)にてヒノクニ
といへり後(のち)に前後(ぜんご)二ッに境(さかひ)を分(わけ)てもヒノミチノクチノクニといへり肥前(ひぜん)と稱(しやう)
するは國(くに)も二ッにわかれ名(な)も字音(じいん)に呼(よび)ならひてはるか後(のち)の名(な)なれば此(この)
病(やまひ)のいにしへなきといふはうたがふべからず是皆(これみな)惡毒(あくどく)の氣(き)を外國(ぐわいこく)より傳來(つたへきたり)
て元(もと)より
日本(につほん)の土地(とち)の氣(き)にて起病(おこるやまひ)にあらざれば其(その)病人(じやうにん)の氣(き)に觸(ふれ)感(かん)ずるものはやみ
さもなき人(ひと)の身(み)におのれと起病(おこるやまひ)には決(けつし)てあらざるなり是(これ)は古今(ここん)醫書(いしよ)にも