翻刻
御方の大名引具して帰上りまつ尾張の清洲の城に
至りたまひ福嶋池田等を先陣とし宗徒の大名に井伊
本多つけて岐阜の城にさしむけらる既にかち軍しつと
聞えんしかハ守殿も馳むかひたまひ中納言秀信の降をうけ
城をはみかたに守らせらる《割書:守殿海道先陣の大将軍給らせ給ひ|岐阜の城をされたるハ 諸記には》
《割書:詳ならす大におろそか也といふへしたゝ加藤左馬助 嘉明の家の事記と|嘉明か家人黒田か記せし関原記に詳也岐阜おちし後徳川殿の上之》
《割書:せたまふほと 守殿ハ清洲に御陣ありし|にや岐阜に御陣ありしにやいまた詳ならす》徳川殿のほらせたまひ
美濃国関か原にして東西の戦を決せらる守殿御方の
軍勢をひきひてむかひたまひ井伊か手に軍すてに
始るとみえしに兵部少輔直政との御陣に参り先陣の
【左丁】
人々か軍するやう見せ参らすへきため直政御迎に参りぬと
申けれハ御勢をハもとの御陣にとゝめけれ歩武者三百
はかりくせられて直政を御供にて福嶋か陣のわきより
つとはせぬけて敵の陣にきつて入時うつるまて戦はせ
たまひさつと引てしはらく御馬の足やすめらるかゝる所に
嶋津兵庫入道義弘まけ軍して此所をおちてゆく直政
これをおつかくる守殿も続てはせたまふに嶋津か郎等
松井三郎兵衛尉と名のつて守殿にはせ向ひもつてひら
きてうつ太刀を弓手の袖にうけとめて松井か馬手の
わたかみより頭の半きりかふて組て両馬が間におち