翻刻
景帝の景泰元年《割書:本朝後花園院|宝徳二年》中山
王尚思達か代に至て山南山北を併
せて使を参らせて朝貢す
此□(説)誤り□(か)山南山北を併呑せしは
尚巴志が時(時)の事のよし琉球人申し也
此事詳なる事は(イ□)【挿入記号】下条に見ゆ(あらはせり)
此後凡三年に一度朝貢し貢使百五
十人過べからずと定めらるに神宗万暦元年
【次行上部に書き入れ】業か
《割書:本朝正親町|院天正元年 (イ也)》琉/球【挿入記号】封(イ冊)使簫崇業謝述等還
りてその国に日本館ありて日本人数百人
利刃を取て往来す其国人の心慎懾なき
由を奏す《割書:中山王尚永嗣|封の年の事也》同十七年(イ本朝後陽成院)【挿入記号】《割書:天正十|七年也》
日本国平秀吉悉く六十六品の地を併て
中山の世子尚寧を招て尚寧/関白(イ以下なし)に
臣たらん事を恥て来らず《割書:尚寧(イか)父王尚永|去年万暦十六》
《割書:年に薨して尚寧いまだ冊封を|ざる故に世子とは称せしなり》同十八年
秀吉朝鮮の地を経て中国に入寇せん
事を謀て琉球の朝貢を禁ず是その