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尾筋(をすぢ)を取切(とりきり)落行先(おちゆくさき)をふさぎて攻(せめ)たりければ。敵兵(てきへい)は東西(とうざい)に逃(にげ)南北(なんぼく)に遁(のが)れ
落行(おちゆき)ける。敵(てき)を討事(うつこと)七百 余人(よにん)黒田勢(くろだぜい)は大(おほい)に勇(いさ)み。此(この)勇気(ゆうき)のぬけざるうち
都(みやこ)へ打入(うちいり)働(はたら)くべしと。清正(きよまさ)行長(ゆきなが)があとを追(お)ふて王城(わうじやう)へと急(いそ)ぎける。
小西行長(こにしゆきなが)忠州(ちくしう)を攻落(せめおと)す事(こと)
扨(さて)も小西行長(こにしゆきなが)は東萊(とくねぎ)に陣(ぢん)して居(ゐ)たりしが。加藤清正(かとうきよまさ)。黒田長政(くろだながまさ)。大友義(おほともよし)
純(すみ)。島津義弘(しまづよしひろ)等(とう)をはじめ。日本(につほん)の諸大将(しよだいしやう)大(おほ)かた渡海(とかい)せしよし聞(きこ)へければ。
行長(ゆきなが)おもふやう後陣(ごぢん)の勢(せい)至(いた)りて打(うち)こみの軍(いくさ)は。さのみ功名(こうみやう)なるまじ急(いそ)ぎ
忠州城(ちくしうじやう)を攻落(せめおと)し。大功(たいこう)をたてんと五月二日の午(うま)の刻(こく)に東萊(とくねき)を打立(うちたち)。夜(よ)を
日(ひ)につゐで急(いそ)ぎけるほどに。五百四十 里(り)《割書:六丁|一り》を五日におして同(とう)月六日の夜(よ)丑(うし)の
刻(こく)に忠州城(ちくしうじやう)へ着(つき)にけり。此城(このしろ)は忠州府(ちくしうふ)をさる事(こと)三十里(り)なり。是(これ)は東萊(とくねぎ)ゟ(より)