翻刻
鳥島移住始末
斎藤用之助著
○第一 藩政時代の鳥島
イ 緒言
藩政時代の鳥島はどんな状態であつたか書いた物が乏しひ為に解らない事が
多い況や明治八年に藩となる前の遠ひ昔に遡りては凡て何事も先づ解らない
事のみであると言てもよい慶長の頃薩摩兵が侵入した後の琉球国は其境
域が変更したと云ふ事は誰れも異論のない事実である薩摩兵の侵入後は島
津氏に分割せられて今の鹿児島県下の大島郡は其時から島津氏の領分となつ
たのである所で其分割当時の我「鳥島」はどふであったかと言へば勿論分割■【衍字か】
せられて島津氏の領分に入りたての島嶼であったのである然ば何故に今日は
鹿児島県下に属せずして沖縄県に属して居るかと申せば斯様である
琉球政府より支那国への朝貢品中には「硫黄」が加りて居たが硫黄産地の鳥島が
島津氏に分割されては朝貢品に閊ゆると言ふので鳥島は島津氏より琉球国に
還附して其代りとして琉球国の領分である鳥島よりも大きな所の与論島を遣
す事になつた即交換する事になつたと云ふ言い伝へがある位で其他は何も解
らん下に記する藩政時代の鳥島として記する所の者は著者が短翰零墨の書類
を見たり亦古老に尋ねたりして彼是総合して記述するに過ぎないのである故
に覧者は其旨を諒せられんことを
ロ 鳥島の吏員
島の統治者は与人二人(村長の如きもの)筑二人(書記の如きもの)作事二人(小使の
如きもの)都合吏員四人と小使二人であった給料は与人は年報【俸の誤字か】拾円筑は五円作
事は無給是丈が島の統治者及附属員であった与人筑は各一人作事一人を引率
し先島頭の如く二年づつ首里へ参覲交代したものである。
今より考ふれば年俸拾円とは全く虚言の様であるが夫れで大きな人が
喜んで勤めたのは名誉を重んじたからである。