翻刻
ハ.人口と戸数
旧藩時代の人の数も家の数がどんな風に増加して来たか頓と分らない廃藩間
際の人口戸数も確な事は知れないが置県後即明治十三年に県庁の手で始めて
出来た統計書に拠ると男が弐百七拾弐人女が弐百参拾六人都合五百八人家の
数が六拾五戸と云ふのであるが是は明治十三年度の事実を調査した県の統計
であるから調査が幾分不充分の点があるとしても所謂当らずといへども遠か
らずで廃置処分前後の数は其辺のことと云ふ事が知らるる
ニ.土地の面積
外の間切島の如く検地帳や竿入帳が在たとすれば夫を見たらば面積も分るで
あろうが素と鳥島は地租御免の島である為地租を取る必要もなく地割の必要
上から一人に付五拾坪宛と三百二十人分即一萬六千坪が藩庁の認めた地割地
であつたと云ふ事を口碑に伝へた外は何等書いた物はない故に地租改正迄は
耕地面積の外は不明で終たのである
ホ.租税
鳥 島の租税として上納の義務を有して居るのは田畑から生ずる物でなく鉱
山より生ずる硫黄であつた即年々精錬硫黄一萬五千斤宛を藩庁に納めたもの
で外には納税の義務は少しもなかつたのである
ヘ.救助米
島で出来る食物は土地が狭い為に住民の食ふ丈の分量は出来なかつた夫で硫
黄上納の残りを売たり海から獲る魚類を売りて食料を求め補ひて生活をして
来たので人民の生活は楽ではなかつた否な真に困難であつた為に毎年救助米
として米参百石宛を給与したるものである其救助割合は男十五歳以上は一日
に六合女十五歳以上も男十五歳未満のものも一日に二合五勺である女十五歳
未満のものは救助計算には入りて居らなかつた此の通りの猫額大の土地を有
する大洋中の一孤島であるから藩政時代よりして鳥島住民の生活は豊富では
なかつたらしい藩庁でも厄介視したのではなかつたろうか。