翻刻
いふ事あり是も又信用にたらす
古より中国に通せし事は聞えす隋の煬帝大業年中羽騎尉朱寛をして
異俗を訪求めしめ始て其国に至る其語言通せす一人を掠めて還る後
に武賁郎将陳稜をして兵を率いて其国に至らしめ男女五千人を生捕
て還れり《割書:隋の煬帝大業六年の事也本朝|推古天皇十八年にあたれり》其後大元の時に至て使して招諭せられ
しかともつひに従はす《割書:これ元の世祖日本を招諭せられし時の事なる|へし本朝にては亀山院御在位の時にあたる候》其国王初の姓
は歓斯(ハンスウ)氏名は渇剌兜(カツラトウ)国人これを呼ひて可老羊(コラウヤン)といふ其妻を多抜荼(トハト)と
いふ《割書:一説に其国王の姓名の事た|しかならぬ説なりといふ》数世を経て後国わかれて三つとなる中山山南
山北これなり大明の太祖洪武五年日本につかはされし行人楊載使の
事訖りて帰る時に琉球を過て中国に内附すへき由を招きけれは此年
秋七月其王各々使して朝貢し対爵の事を請ひ申を《割書:我国南朝後亀山院文中元年|北朝後円融院慶安五年の事》
《割書:なり大明の太祖の使明州の天□寺の僧祖□南京の无宮寺の僧無逸九州に来りて南朝関西の懐良親王|にまみえき揚載これ之の僧と共に来れるなるへしこれ大明より我国への使第二度に及ひし時の事也》
同十五年《割書:我国南朝弘和二年|北朝永徳二年也》中山王察度山南承察に印金幣等を賜る《割書:これ中|国より》
《割書:冊封使あ〓|事の始なり》其使環りて三王互に雄を争ひて相攻る由を申けれは三王相
和らくへきよしの詔書を賜りて同十六年《勅書:我国南朝弘和三年北|朝小松院永徳三年》山北王怕尼芝
にも印文綺等を賜る此年勘合文冊を三王に賜るこれより三王皆中国
に請ふて其封を嗣く《割書:王には紵緑紗羅冠服王妃には紵緑紗羅王|姪王相寨官等には絹公服等を賜ひしなり》同二十五年《割書:我国此年南|北一統す後》
《割書:小松院明|徳三年》中山王其子侄陪臣の子弟等をして国学に入らしむ太祖よろこ
ひ給ひて其礼遇山南山北にこえすくれて閩人の善く船を操るもの三
十六姓を賜りて其往来に便し給ひ二年ことに一たび朝貢し船ことに百人
多くとも百五十人に過へからすと定められ福建の南台の外に蕃使館を設て其使を
待たる《割書:朝貢使の朝を拝する等の義|事長けれはしるする及はす》その貢物は馬、琉黄、蘇木、胡椒、螺殻、海巴、生紅銅
牛皮、摺子扇、刀、錫、瑪瑙、磨刀石、烏木、降香、木香、其中琉黄、螺殻、海巴、牛皮、磨刀
石、は其国の産物にて蘇木、胡椒等は歳々に暹羅日本より易る所にして摺