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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 34

ページ: 34

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【右丁】  依(よつ)て寛文(くわんふん)の頃(ころ)衆生(しゆしやう)化益(けやく)の為(ため)日栄(にちえい)上人こゝに移(うつ)し奉(たてまつ)るとなり  霊験(れいけん)感應(かんおう)の著(いちしる)しき事は寺記(しき)に詳(つまひらか)なり故(ゆゑ)に参詣(さんけい)の貴賤(きせん)日(ひ)々に  多(おほ)く寅日(とらのひ)は殊(こと)に群集(くんしゆ)せり《割書:正月/初(はしめ)の寅日(とらのひ)参詣(さんけい)の人大方は芝(しは)の神明(しんめい)|宮(くう)の門前(もんせん)にて燧石(ひうちいし)をもとめて帰(かへ)る輩(ともから)あり》  《割書:洛北(らくほく)の鞍馬(くらま)山の毘沙門天(ひしやもんてん)へ正月/初(はしめ)の寅日(とらのひ)詣(けい)する輩(ともから)|燧石(ひうちいし)を買(かひ)て家土産(いへつと)とすこれを畚(ふこ)おろしといふこれに準(なそら)ふといふ》日親堂(につしんたう)《割書:日親(につしん)上人の|像(さう)を安(あん)す》  《割書:霊験(れいけん)著(いちしる)し|といへり》 田中山(てんちゆうさん)西應寺(さいおうし) 金杉(かなすき)の通(とほ)りより西(にし)の裏(うら)にあり《割書:門前(もんせん)を西應(さいおう)|寺町(しまち)と呼(よ)ふ》浄土(しやうと)  宗(しう)にして三縁山(さんえんさん)に属(そく)す支院(しゐん)三/宇(う)あり本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)  の像(さう)は慧心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)なりと云傳(いひつた)ふ應安(おうあん)紀元(きけん)戊申の年(とし)明賢(みやうけん)  上人/草創(さう〳〵)す《割書:明賢(みやうけん)上人は應永(おうえい)五年戊寅/黄鐘(わうしやう)|十日に遷化(せんくゑ)す年八十六歳といへり》天正(てんしやう)の頃(ころ) 大将軍家(たいしやうくんけ)  當寺(たうし)に駕(か)を枉(まけ)させられ寺領(しりやう)御寄附(こきふ)ありしかは学徒(かくと)朝夕(てうせき)  の助(たすけ)寛(ゆたか)にして学道(かくたう)盛(さかん)なり又(また)當寺(たうし)十六世/存冏和尚(そんけいおしやう)一  宗(しう)の碩学(せきかく)にして當時(たうし)法門(はふもん)の龍象(りうさう)学道(かくたう)の麟鶴(りんくわく)なり  けれは 大将軍家(たいしやうくんけ)深(ふか)く崇敬(そうけい)まし〳〵けるにより 【左丁】  依(よつ)て一夏(いちけ)の間(あひた)法幢(はふとう)を建(たて)一百/餘(よ)人の衆僧(しゆうそう)に宗風(しうふう)の法意(はふい)を  示(しめ)すすへて念佛三昧(ねんふつさんまい)他力往生(たりきわうしやう)のをしへ日(ひ)々に大(おほ)いに弘(ひろま)れり 三田(みた)或(あるひ)は御田(みた)及(およ)ひ箕多(みた)に作(つく)ると《割書:古(いにしへ)神領(しんりやう)に寄(よせ)られし地(ち)を御田(みた)|と書(かき)たる由(よし)古老(こらう)の説(せつ)なり》  和名類聚鈔云 荏原郡御田云云  武蔵國風土記残篇云 荏原郡御田郷或箕多   公穀三百六十七束假粟百三十九丸貢松竹蕨▢   等亦有諸禽允大膳或木工寮云云   《割書:按(あんする)に此地(このち)を以(もつて)渡辺(わたなへ)の綱(つな)か旧跡(きうせき)とするは誤(あやまり)なるへし或(ある)人云/此地(このち)は三田家(みたけ)の|旧領(きうりやう)にして三田氏(みたうち)累世(るゐせい)こゝに居住(きよちゆう)す三田家譜(みたかふ)に三田三河守(みたみかはのかみ)其子(そのこ)駿河守(するかのかみ)》   《割書:綱勝(つなかつ)武州(ふしう)三田(みた)に住(ちゆう)す代(よ)々/綱(つな)といふ字(し)を名(な)とす依(よつ)て後人(こうしん)渡辺(わたなへ)の綱(つな)と|混(こん)し交(まし)へて誤(あやま)れる歟(か)と云々/渡辺系図(わたなへけいつ)に云/源次充(けんしみつる)武蔵國(むさしのくに)足立郡(あしたちこほり)箕田(みたの)》   《割書:郷(かう)に配(はい)せらるとありて三田(みた)とする事なし三田(みた)箕田(みた)同訓(とうくん)なる故(ゆゑ)に混雑(こんさつ)し|てかゝる附會(ふくわい)の説(せつ)をはまうけたりしなるへし鵞峰文集(かほうふんしふ)に箕田園(みたえん)の》   《割書:記(き)と号(かう)するものありて此地(このち)を渡辺綱(わたなへのつな)か旧跡(きうせき)とせらる其(その)文(ふん)はこゝに略(りやく)せり|永禄(えいろく)二年/小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)に大田新六郎(おほたしんろくらう)知行(ちきやう)の内(うち)に三田(みた)内(うち)壽(しゆ)》   《割書:楽寺分(らくしふん)同/箕輪寺屋分(みのわてらやふん)又/島津弥七郎(しまつやしちらう)知行(ちきやう)三田(みた)坂間分(さかまふん)及(およひ)中村平次左衛門(なかむらへいしさゑもん)|知行(ちきやう)三田(みた)高福寺分(かうふくしふん)本住坊寺領(ほんちゆうはうしりやう)に同所にて惣領分(さうりやうふん)の地(ち)等(とう)を配(はい)すと見(み)》   《割書:えたり》 綱坂(つなさか) 同所(とうしよ)松平隠岐侯(まつたひらおきこう)と會津家(あひつけ)との藩邸(やしき)の間(あひた)を寺町(てらまち)へ