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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 35

ページ: 35

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【右丁】 小山神明宮(こやましんめいくう) 【図】 【枠内】本社 【左丁】  下(くた)る坂(さか)を号(なつ)く《割書:惣鹿子(さうかのこ)に渡辺坂(わたなへさか)とあり菊岡沾凉(きくをかせんりやう)云|此所(このところ)は箕田武蔵守(みたむさしのかみ)の居城跡(きよしやうのあと)なりと》又/同所(とうしよ)有馬(ありま)  家(け)の藩邸(やしき)の南(みなみ)の坂(さか)を綱(つな)か手引坂(てひきさか)と号(なつ)く綱(つな)か産湯水(うふゆのみつ)  と云は同所(とうしよ)肥後侯(ひここう)の園中(えんちゆう)綱(つな)か駒繋松(こまつなきまつ)と称(しよう)するは隠岐侯(おきこう)の  藩邸(やしき)綱塚(つなつか)は同所(とうしよ)功雲寺(こううんし)の境内(けいたい)にあり   《割書:按(あんする)に窪三田(くほみた)に綱生山(かうしやうさん)當光寺(たうくわうし)といへる一向派(いつかうは)の寺(てら)あり渡辺(わたなへ)の綱(つな)か出生(しゆつしやう)の地(ち)|なりといひ傳(つた)ふ又/三田八幡宮(みたはちまんくう)の神躰(しんたい)をも渡辺(わたなへ)の綱(つな)か守護神(しゆこしん)なりとし》   《割書:すへて此辺(このへん)綱(つな)に縁(えん)ある事のみ多(おほ)し會津家(あいつけ)の別荘(へつさう)にも綱(つな)か塚(つか)と称(しよう)するもの|ありて塚上(ちやうしやう)の松(まつ)を懐古松(くわいこのまつ)と号(なつ)けられ鵞峯先生(かほうせんせい)の箕田園(みたえん)の記(き)を作(つく)らる》   《割書:其(その)略(りやく)に云く武蔵國(むさしのくに)荏原郡(えはらこほり)渋谷荘(しふやのしやう)箕田邑(みたむら)は源綱(みなもとのつな)か陳跡(ちんせき)なり綱(つな)老(おひ)て|仕(つかへ)をかへし此所(このところ)に終(をは)るしかりしより已来(このかた)数百(すひやく)の星霜(せいさう)を歴(ふる)といへとも其塚(そのつか)猶(なほ)》   《割書:存(そん)す塚上(ちやうしやう)に松(まつ)を栽(うゑ)遺蹤(いしやう)を摽(ひやう)す則(すなはち)是(これ)壮氣(さうき)いまた散(さん)せす千歳(せんさい)の餘情(よしやう)|あるものか明暦(めいれき)四戊戌の夏(なつ)會津(あいつ)源公(けんこう)此地(このち)を賜(たま)ひ別荘(へつさう)とし給ふ猶(なほ)其(その)》   《割書:塚(つか)を存(そん)する事は蓋(けたし)その勇(ゆう)を取(と)り古(いにしへ)の士(し)を尚(たつとみ)たまふ儀(き)歟(か)と云々かくの|如(こと)く記(しる)されたれと此地(このち)は箕田(みた)にあらす猶(なほ)前(まへ)の三田(みた)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》   《割書:照合(てらしあは)せてみるへし|》 小山神明宮(こやましんめいくう) 同所(とうしよ)有馬家(ありまけ)と黒田家(くろたけ)の間(あひた)小高(こたか)き所(ところ)にあり  神躰(しんたい)は雨寳童子(うはうとうし)別當(へつたう)は天台宗(てんたいしう)不動院(ふとうゐん)と号(かう)す此所(このところ)を  飯倉神明宮(いひくらしんめいくう)の舊地(きうち)とするは誤(あやま)なり